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アヘン

ケシから得られる麻薬。イギリスはインド産のアヘンを中国に密輸出し巨利を得、反発した清朝がアヘン密輸を禁止したためアヘン戦争が起こった。

 18世紀以来、イギリスは中国との貿易において、一方的にを輸入するのみで、中国に売りつけるものがなく著しい輸入超過であった。産業革命後、工業製の綿織物を売り込もうとしたが、中国の綿織物・絹織物に対抗できず、振るわなかった。そこで考えられたのがインド産のアヘンを中国に売り込むことであった。アヘンは罌粟の実からとれる麻薬で、吸飲すると気分が高揚するなどの薬効があったが、習慣化して次第に人体に害を及ぼし廃人としてしまう。アヘンが中国にもたらされると、貧民層を中心に急速にひろまった。1780年、イギリス東インド会社ベンガル地方のアヘン専売権を獲得、本格的な中国への輸出に乗り出した。

銀の流出

 清朝政府はアヘン輸入を禁止したので、密貿易という形で広州に運ばれ、次第に巨大な利益を上げるに至った。19世紀に中国で急速にアヘン密貿易が増大し、中毒者が蔓延、また代価としての銀が流出したため、清朝政府も無視できなくなり、ついに1840年のアヘン戦争勃発となる。なお、当時、東南アジアのイギリス領マラヤやオランダ領東インドのスズ鉱山で働く中国人労働者(苦力)に対して売りつけられ、それぞれ専売制度によって植民地当局の利益となっていた。

アヘンの密貿易

 アヘンはふつうソフトボール大の球状に固められて、それを40個、133ポンド1/3(百斤)がマンゴ材の箱に詰められて輸入された。品質によって等級があり、ベンガル産が最高級で公班土(コンパンド。コンパンはカンパニー、つまりイギリス東インド会社を意味する。)と言われた。アヘンの輸入量は密輸品であるので正確な統計はないが、1817年(嘉慶22年)3698箱(価格約400万スペインドル)が約20年後の1838年(道光18年)には28307箱(価格1980万スペインドル)になった。インドからのアヘンだけでなく、主にアメリカ商人によってもたらされたトルコ産やイラン産のアヘンを加えれば、1835年にすでに3万箱とも言われている。<陳舜臣『実録アヘン戦争』中公新書 p.45-47>
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第13章3節 東アジアの激動
書籍案内

陳舜臣
『実録アヘン戦争』
中公文庫