印刷 | 通常画面に戻る |

プラット条項/プラット修正

1902年、キューバ憲法でのアメリカの干渉権を認めた規定。この規定によってキューバは事実上のアメリカの保護国となった。

 米西戦争後のパリ条約によってキューバ独立は認められた。しかし、1902年に制定されたキューバ憲法にはアメリカのキューバへの干渉権、海軍基地の設置、キューバの他国との条約や借款の制限などを認めた事項がアメリカの指示によって書き加えられた。この条項を条項をプラット条項(またはプラット修正)という。これによってキューバは独立したものの、事実上アメリカの保護国とされることとなった。この状態は1934年に、プラット条項が廃止されるまで続くが、その後もアメリカ資本によるキューバ経済支配は、第二次世界大戦後のカストロの指導によるキューバ革命まで続くこととなる。また、キューバの事実上の保護国化に伴って、1903年に締結された互恵通商条約で設けられたアメリカ海軍のグアンタナモ基地は、現在もアメリカ海軍が使用している。

資料 プラット条項

 1900年、キューバを平定したアメリカ軍政長官ウッド大将は、ハバナに立法議会を招集、代議員に憲法とアメリカ-キューバ関係を規定する条約案の起草を指示した。代議員が憲法と条約案の作成にあたっている時、プラット修正といわれる八条の条文がアメリカから強要された。特に重要なのは、干渉権と基地提供に関する次の二条である。
  • 第三条 キューバ政府は、米国がキューバの独立を保持し、生命、財産および個人の自由を保護するに足る政府を維持するために、介入する権利を行使できることに同意する。
  • 第八条 米国がキューバの独立を維持するため、また、米国自身の国防のため、キューバ政府は、海軍基地を設けるために必要な土地を米国に売却あるいは貸与する。
 キューバ人は抗議した。しかし、米国の要求を受諾しなければ、米国の軍事占領は続く。このような状況において、キューバにとっては米国の要求を受諾する以外には選択肢はなかった。1901年、プラット修正は憲法に組み入れられ、さらに1903年、互恵通商条約の形で条約化された。<宮本信生『カストロ』1996 中公新書 p.9>

プラット条項の意味

 この条項はキューバにおけるアメリカ権益を、キューバ国内の反米運動や、ヨーロッパからの干渉から守るために編み出された工夫である。はじめ1901年のアメリカ陸軍予算案に加えられた「プラット修正」として定められたもので、当時の国務長官ルートと上院議員プラットによって構想され、キューバが自らの独立を危うくしたり、領土を割譲するような条約をアメリカ以外の外国と締結することを禁じ、さらにキューバ政府が国民の財産や生命を守れない場合はアメリカが内政干渉する権利を保持し、キューバに石炭補給地と海軍基地を建設する権利も認める、というものであった。つまり、「キューバの独立を守るために、アメリカが内政に干渉する権利を認めさせる」という本質的に矛盾した内容であった。
 1902年、アメリカ合衆国のセオドア=ローズヴェルト政権はこのプラット条項(プラット修正)をキューバに圧力をかけてその新憲法に書き入れさせ、さらに1903年にキューバとの条約として再確認され、キューバは自らの憲法でアメリカの内政干渉を認めるという、事実上の保護国となった。
プラット条項の廃止 その後、キューバの激しい反対が続き、アメリカはフランクリン=ローズヴェルト大統領の「善隣外交」政策の一環として、1934年にこの条項を撤廃した。そのねらいは、キューバに親米的なバティスタ政権が成立し、それによって反米運動を抑えることにあった。