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フアレス

メキシコ共和国に自由主義政権を樹立し、さらにナポレオン3世の出兵に抵抗してマクシミリアン帝政を倒したメスティーソ出身の大統領。後半は独裁者となった。

フアレス
Benito Juarez 1806-1872
インディオの血を受けた風貌である。
『物語メキシコの歴史』p.123
ファレスではなくフアレス(Juarez)なので注意。メキシコ南部のオアハカ州で先住民サポテカ人の血をひくメスティーソとして生まれる。幼くして両親を失い羊飼いをしながら修道院の学校に学んだ。地元の科学芸術学院でスペイン語を習得し、法律で身を立てて州議会の議員に選ばれ、さらに大統領サンタ=アナから州知事に任命された。そのころアメリカ=メキシコ戦争が勃発、大統領の領土割譲を批判したフアレスは任を解かれ、アメリカに追放される。そこからサンタ=アナ独裁との戦いが始まり、1855年にサンタ=アナ政権が倒れると法務大臣として政権に加わり、1857年にメキシコで初めての民主主義的憲法であるメキシコ共和国憲法の制定に尽力した。

レフォルマ戦争で共和派を指導

 しかし、フアレスら自由主義改革を進めようとする改革派と、伝統(カトリック教会を指す)と秩序(地主支配を意味する)の維持を主張する保守派の対立が激しくなり、ついにレフォルマ戦争(1855~61年)という内乱に突入する。長期にわたる内戦の末、フアレスの改革派が勝利を占め、教会財産の没収など急進的な改革を開始した。

ナポレオン3世のメキシコ出兵と戦う

 それに対してフランスのナポレオン3世が介入を開始、1861年にメキシコ出兵を実行し、フアレスは今度はフランス軍との戦いを余儀なくされ、さらにナポレオン3世によって樹立されたマクシミリアン皇帝の皇帝軍との間でもメキシコ内乱を戦い続けた。ようやく67年に干渉軍に勝利し、フアレスは正式に大統領となる。

フアレス政権

 1867年7月首都に凱旋したフアレスは大統領選挙を実施して正式に大統領となったが、そのとき対立候補であったディアスは、フアレス陣営が不当な選挙干渉が行われたとして両者の対立が激しくなった。フアレスは民主主義憲法の生みの親であったが、獲得した権力の維持にあたっては非民主的な手段をとり、次第に独裁的となり、71年の大統領選挙でも不正選挙でディアスを破った。しかし72年に急死し、その独裁政治は終わりを告げた。メキシコでは76年にディアスが大統領となると彼も長期独裁政権を続けることとなる。

メスティーソの大統領

 フアレスは最後は独裁者として終わったが、その生涯はメキシコの真の独立を目指す戦いの連続であったといえる。ラテンアメリカ諸国独立の最初の動きはクリオーリョによって担われていたが、19世紀後半のフアレスはメスティーソの出身であったことが重要であり、この世代によってラテンアメリカの民族的な真の独立が達成され、同時に議会政治や言論、信仰の自由が実現した(民主政治は不十分であったが)ということが出来る。フアレスは現在でも「建国の父」と尊敬を集め、アメリカとの国境リオグランデ川をはさんでエルパソの対岸にある、フランスの干渉軍と戦った彼が避難して共和国を守った町は彼の名を冠してシウダ=フアレスと名づけられ、またメキシコシティの国際空港は彼を記念してベニト=フアレス国際空港と名づけられている。<大垣貴志郎『物語メキシコの歴史』2008 中公新書 などによる>
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第14章2節 ウ.ラテンアメリカ諸国の従属と抵抗
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大垣貴志郎
『物語メキシコの歴史』
2008 中公新書