印刷 | 通常画面に戻る |

ディアス

1876~1910年、メキシコ大統領として独裁権力を振るい、メキシコ革命で亡命した。

ディアス
独裁者ディアス
ジョン=リード『反乱するメキシコ』より
ポルフィリオ=ディアス(Porfirio Diaz 1830-1815)はメキシコ共和国でフアレスの独裁を批判して台頭し、その死後の1876年に大統領となった。大統領の再任を続けて35年にわたる長期独裁政治を行った(在位1877~80、84~1911)。国内では地主階級、国外ではアメリカとイギリスの資本に依存し、近代化を進めたが、貧富の差の拡大などが深刻となり、また独裁的手法に反発したマデロらのメキシコ革命運動が1910年に始まり、1911年に追放された。

フアレス独裁を批判

 ディアスはメキシコ南部オアハカ州のミシュテカ人の血をひくメスティーソの出身であった。同郷の科学芸術学院でサポテカ人フアレスに教えられ、成人してからはその下で軍人となってレフォルマ戦争とフランスとの戦い(メキシコ内乱)を戦い、メキシコ市奪還などで手腕を発揮し将軍となった。しかしフアレスが不正な手段で大統領選挙を続け権力の座に居座っていることに反発し、「政権交代」を掲げて対立するようになった。1872年にフアレスが急死した後、1876年にクーデターで政権を倒し、ついで大統領選挙を実施して正式に大統領となった。しかし権力を握ると彼自身が憲法を改正して大統領の任期延長を繰り返し、結局1911年まで30年以上に渡る独裁権力を維持することとなった。彼の独裁は、独立直後から1860年代までラテンアメリカ各地で見られたカウディーリョ(地域的軍事ボス)の延長線上にある独裁政治であった。

ディアスの独裁政権

 この間メキシコは国内通商を自由化して市場統一を図り、鉱工業を発展させ、鉄道網を普及させるという近代化を遂げた。対外貿易も順調に伸び、1894年にははじめて経常収支を黒字にし、財政を安定させた。こうしてディアス独裁政権のもとでメキシコは近代化を遂げ、安定と繁栄を実現したが、その間ディアスは大統領再選を重ね、民主主義は抑えられていた。1910年はメキシコ独立戦争100周年(イダルゴの蜂起から100年)であったが、ディアスは80歳になっていた。その年にマデロらがディアス大統領再選反対の声を上げると反乱は全国に波及し、軍も大統領を裏切ることとなって、メキシコ革命が成功し、ディアスは1911年5月に国外追放とされ、15年にフランスで死去した。

日本の明治時代にあたるディアス時代

 ディアスが頭角を現したのがメキシコ内乱でフランス軍からメキシコ市を奪還した1868年であるから、日本の年号ではまさに明治元年であり、メキシコ革命で亡命したのが1911年であるから明治末年にあたる。そしてその時代はメキシコが近代国家に転身すると共に矛盾を深めたという点でも明治時代に類似しているようだ。またメキシコ革命が成功した1911年はアジアにおいては辛亥革命の年である。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第14章2節 ウ.ラテンアメリカ諸国の従属と抵抗