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梁啓超

清朝末期に戊戌の変法を指導し、弾圧されて日本に亡命。辛亥革命で帰国し、中華民国の要職に加わる。

りょうけいちょう。1873-1929 康有為の弟子として上海で『時務報』を発刊して中国の近代化をうながす啓蒙活動を行った。戊戌の変法が始まると指導者の一人として活躍したが、戊戌の政変で弾圧され、康有為とともに日本に亡命した。日本政府の非協力によって、日本での活動をあきらめ、アメリカに渡った。1903年にはアメリカで中国人排斥運動が起きると華僑と協力して抵抗し、本国にアメリカ製品ボイコットを呼びかけた。孫文などの革命派が台頭すると、梁啓超は清朝のもとでの立憲政治を主張して対立した。
 辛亥革命が起きると中国に戻り、民主党を結成して活動し中華民国政府の司法総長や財務総長を努め、日本の山東出兵に反対し、また袁世凱の帝政復活を批判した。このように梁啓超は政治家としても活躍したが、その本領はジャーナリストとしてであり、1919年のヴェルサイユ会談でも中国の要求が受け入れられなかったことをいち早く国民に伝えた。
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ノートの参照
第14章3節 ア.中国分割の危機