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ポーランド回廊

ヴェルサイユ条約でポーランド領とされ、ドイツ本土と東プロイセンを分断する形となった地域。1939年、ヒトラーのドイツがその通行を要求、ポーランドが拒否したことを口実に侵攻し、第二次世界大戦の勃発となった。

 プロイセン公国を母体としていたドイツ帝国の領土は、現在のドイツの東方、ポーランド領にかなり食い込んでいた。第一次世界大戦でドイツが敗北した結果、ヴェルサイユ条約によって、ポーランドにバルト海への出口を与えるために割譲された。そのため、ドイツ本国と、ドイツ領東プロイセンとを分断する形となったので、その間を結ぶ渡り廊下のような形となったため「ポーランド回廊」と言われた。(東プロイセンがドイツの飛び地となった。)

ヒトラー=ドイツの侵攻

 この地域には多数のドイツ人が居住していたので、当初からドイツ側は不満を持った。ナチス・ドイツはこの地を奪回することを強く掲げ、1935年にヒトラーはポーランドに対し、ダンツィヒの返還とポーランド回廊への鉄道と道路の建設を認めることを要求、ポーランドが拒否したので、39年にポーランドに侵攻第二次世界大戦の勃発となった。その結果、ドイツ領に編入されたが、大戦後はポーランド領に戻り、現在に至っている。
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ノートの参照
第15章2節 ア.ヴェルサイユ体制とワシントン体制