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プールナ=スワラージ

「完全独立」を意味するヒンディー語。1929年、インド国民会議大会で決議され、反英闘争のあらたな運動理念となった。

 1929年12月29日、パンジャーブ地方の中心都市ラホール(現在はパキスタン領)で開かれた国民会議派大会で掲げられた新たな運動方針。purna swarāj は「完全な独立」という意味。スワラージは1906年の国民会議派のカルカッタ大会四綱領に掲げられた「自治」の要求であったが、ここに至って明確な独立要求に高められた。
 イギリスがインド統治法の改訂にそなえて1927年に憲政改革調査委員会を設置したものの、インド人が加えられなかったことに反発が強まった。イギリスは新たにロンドンでの英印円卓会議の開催を提案してきたが、インド国民会議派は従来の自治要求にとどまっていたガンディーらの運動を一歩進めようとするネルーらの急進派が台頭し、イギリスからの「完全独立」を要求することを決議した。同時に、イギリスが提案していた円卓会議への不参加を決定した。 → インドの反英闘争(20世紀)
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