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U2型機事件

1960年、ソ連がアメリカのU2型偵察機を撃墜した事件。米ソの平和共存路線は危機におちいった。

 1960年5月、ソ連上空を飛行したアメリカのU2型偵察機が、ソ連のウラル上空で撃墜された事件。ソ連のフルシチョフ首相はアメリカのスパイ行為であると激しく非難し、前年の自身のアメリカ訪問の返礼としてのアイゼンハウアーのソ連招待をキャンセル、予定されていたパリでの巨頭会談も中止された。
 この事件を機に、米ソの平和共存は暗礁に乗り上げ、1960年代は再び東西冷戦の緊張が高まった。その現れが翌61年の東側によるベルリンの壁の構築であり、62年のキューバ危機であった。1960年代は直接的な戦火は発生しなかったが、米ソ間には「冷たい平和」といわれる対立状態が続いた。なお、アメリカがソ連のウラル上空を偵察飛行した理由として、ソ連の核実験でのウラル核爆発事故の実態を調査するためだったのではないかと言われている。

Episode フルシチョフの国連演説 靴で演壇を叩く

 U2撃墜事件の後、「1960年9月にフルシチョフは国連で演説し、靴を脱いで演壇を叩いた。この行動は粗野だとひんしゅくをかったが、フルシチョフは帝政ロシア時代のドゥーマの議員がしばしば同様な行動をとったことを思い出してのことだったという。おそらくは内外に向けて、フルシチョフが農民の出であることを含めて、ロシアを代表する人物であることを誇示したかったのであろう。」<猪木武徳他『冷戦と経済発展』1999 中央公論新社 世界の歴史29  p.102>
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ノートの参照
第16章2節 イ.ソ連の雪どけと平和共存政策