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第五共和政

1958年から現在に至るフランスの政体。アルジェリア問題の混迷を機に登場したド=ゴール政権のもとで生まれ、大統領権限を強化した。

 1830年以来のフランス植民地であるアルジェリアでは、民族運動が高揚し、1954年から民族解放戦線(FLN)による独立運動が展開され、現地のフランス人舞台との激しいアルジェリア戦争は泥沼化していった。フランス内部でもその対応を巡りアルジェリア問題といわれる対立が起こった。

ド=ゴールの再登場

 1958年、本国政府がアルジェリアの独立容認に傾くと、それに反発したフランスのアルジェリア現地軍が蜂起し、政府軍と衝突するという内戦状態となた。国内の軍部を中心に植民地維持の輿望を担って第二次世界大戦の英雄ド=ゴールが登場して首相に就任した。ド=ゴールは自ら起草した第五共和政憲法を同年10月に国民投票で承認をうけて制定し、自ら大統領選挙に打って出て当選し、第五共和政初代大統領となった。このフランスの政体を第四共和政に続く共和政としてフランス第五共和政といい、さらにド=ゴールの意図に従って大統領権限を強化する改正を行い、現在まで続いている。
アルジェリア独立を容認 しかしド=ゴールは現実的であった。大統領となると一転してアルジェリアの独立を承認して現地部隊の反乱を鎮圧、アルジェリア問題を解決した。

ド=ゴール外交

 ド=ゴールは国内の厚い支持を背景に、冷戦時代に「フランスの栄光」を再現する独自のド=ゴール外交を展開した。その典型は、国際世論の反対を押し切り核実験を強行し、他方では中華人民共和国を承認してアメリカへの追随を拒否し、その欧州支配に反発してNATO軍事機構を脱退したことなどに現れている。

ド=ゴールの退陣とその後

 このようは華々しい外交での成功の反面、国内では独裁的な政治に対する反発から1968年に「五月危機」が起こり、学生や労働者が激しい反ド=ゴール運動を展開した。ついに翌年ド=ゴールは辞任した。
 その後フランスの大統領は、ド=ゴールの政策を継承したポンピドゥー、74年からの反ド=ゴール派のジスカールデスタンのリベラルな協調路線を経て、1981年に社会党のミッテランが23年ぶりに政権を奪取し、不況対策に実績を上げ、2期(フランス大統領の任期は7年)務めた。その後、1995年に保守派のシラクに替わった。シラク大統領は2期続き、2007年5月にサルコジが就任した。第五共和政は大統領権限が強大であることが特徴だが、議会を基盤とする首相を違った党派から選ばなければならない場合もでている。 → 現代のフランス

第五共和政憲法

1958年、ド=ゴールの提唱で制定された大統領権限を強化した憲法。

1958年10月に公布されたフランスの現行憲法。大統領の権限が著しく強化されたのが特徴。議会は二院制であるが権限が制限された。大統領は両院議員、県会議員、市町村会議院による間接選挙(62年からは国民による直接選挙に改正される)で選ばれ、任期7年、自由に首相を任命し、議会解散権を行使することができた。内閣は単に大統領の施策を執行する機関にすぎなくなった。この憲法に基づいた第五共和政が現在まで続いている。 → ド=ゴール
第五共和政のフランス大統領:第五共和政での大統領権限は次のように強大である。
・制度上、国民も議会も大統領を解任することは出来ない。
・首相任免権(議会の承認の必要が無い)を持つ。
・法律案を国会の審議にかけず、直接国民投票にかける権限を持つ。
・総選挙から1年後であれば、理由を示すことなく、国民議会を解散させることが出来る。
・緊急措置発動権を持つ。共和国の制度、国家の独立などの危機に対し、大統領が判断し、立法権、執行権を大統領に集中させ、憲法規定を一時停止することができる。
第五共和政の議会と内閣  国民議会はまったく無力というわけではなく、内閣に対しては政府不信任決議を出すことが出来る。この点がフランスは完全な大統領制(アメリカのような)ではなく、議院内閣制の性格も持つ、準大統領制とも言われる。そのため、大統領と首相が左右異なる陣営に属して共存するというコアビタシオンという政治現象が起きる。
 なお、国民議会選挙は一人一区の小選挙区であるが、単記二回投票制であり、第一回投票で有権者の12.5%以上の得票をしたものだけが第二回投票で立候補でき、第二回投票の第一位が当選となる。第一回投票と第二回投票の間に各政党間の票の調整が行われ、フランスの選挙に特有な「立候補とりやめ(デジストマン)」が重要な鍵を握る。<渡辺啓貴『フランス現代史』1998 中公新書 p.102>
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第16章2節 エ.西ヨーロッパの経済復興と統合の進展
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渡辺啓貴
『フランス現代史』
1998 中公新書