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平和十原則

周恩来・ネルーの提唱した平和五原則を拡張し、1955年のアジア=アフリカ会議の共同声明として出された、国際政治の原則に関する提唱。

 1955年のアジア・アフリカ会議で共同声明という形で発表された、平和のための原則。54年の周恩来=ネルー合意である平和五原則をもとに、より現実的な課題を入れてまとめられた。10項目は次の通り。
  1. 基本的人権と国連憲章の趣旨と原則を尊重する。
  2. 全ての国の主権と領土保全を尊重する。
  3. 全ての人類の平等と大小全ての国の平等を承認する。
  4. 他国の内政に干渉しない。
  5. 国連憲章による単独または集団的な自国防衛権を尊重する。
  6. 集団的防衛を大国の特定の利益のために利用しない。また、いかなる国も他国に圧力を加えない。
  7. 侵略または侵略の脅威・武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立をおかさない。
  8. 国際紛争は平和的手段によって解決する。
  9. 相互の利益と協力を促進する。
  10. 正義と国際義務を尊重する。
(要点)1.基本的人権と国連憲章の尊重、2.主権と領土の尊重、3.人種と国家間の平等、4.内政不干渉、5.個別的・集団的自衛権の尊重、6.集団防衛の抑制、7.武力侵略の否定、8.国際紛争の平和的解決、9.相互協力の促進、10.正義と義務の尊重
 このうち、2.4.7.9は「平和五原則」と同じであるが、五原則にあった「平和共存」の語句は社会主義国・非同盟主義諸国と親西欧諸国の意見の対立から見送られ、1の「国際連合憲章の尊重」という表現となった。また5.の「自衛権の尊重」は親西欧諸国の主張で採用されたが、6で集団的自衛権に条件を付帯することとなった。

意見の対立を乗り越えて

 バンドン会議ではネルースカルノ周恩来などが「平和共存」をうたった「平和五原則」の満場一致での確認を望んでいた。しかし、参加国のなかの親西欧諸国(オブザーバー参加の日本も含め)は「平和五原則は共産主義思想の申し子」として反発し、すべての国は個別的・集団的自衛権を有するとして、軍事同盟参加を肯定する立場を取った。それにたいして周恩来は「平和共存」という表現が一致を得にくいなら「国連憲章」の「共に平和に生きる」という表現を使用しようと提案した。ついでナセルが「大国が軍事ブロックを自国の利益のために用いないことを条件にして、集団的自衛権を容認する」という妥協案をだして収拾されることになった。このように「平和十原則」には「平和共存」という言葉そのものは使われておらず、妥協の産物とも言えるが、アジア・アフリカ諸国が体制や立場の違いを超えて、反植民地主義と平和共存のという意志で結集した意義は大きい。<油井大三郎/古田元夫『第二次世界大戦から米ソ対立へ』世界の歴史28 1998 中央公論社 p.266>
 平和五原則、平和十原則で打ち出された国際政治の原則は、その後も継承されている。東南アジア諸国連合(ASEAN)では1976年、バリ島で第1回の首脳会議を開催し、東南アジア友好協力条約(TAC)を締結し、主権と領土の尊重、紛争の平和的解決など、平和十原則を具現化する地域的集団安全保障体制を発足させた。  
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第16章3節 ア.アフリカ諸国の独立