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スカルノ

インドネシアの独立運動家。オランダからの独立を目指し、インドネシア国民党を結成、日本占領時には日本軍に協力。45年8月17日にインドネシア共和国独立宣言を発する。独立を認めないオランダとの独立戦争を指導、1950年にインドネシア共和国の単一国家化を達成し初代大統領となる。在任は1945~1967年。国内ではナサコム体制といわれる独裁制をとり、世界では第三世界の指導者として活躍した。

スカルノ
Sukarno 1901-1970

インドネシア民族運動を指導

 ジャワ島スラバヤに生まれ、バンドンで建築を学んだ後、インドネシア民族主義運動に投じ、その指導者となった。インドネシア共産党の武装蜂起が失敗した後、1927年インドネシア国民党(厳密には27年にインドネシア国民連盟と称し、翌28年に国民党を称する)を結成、その党首となり、大同団結と植民地政府への非協力を主張して新たな民族主義運動のリーダーとなった。弾圧によって29年に逮捕され、さ党は31年に解散。33年から42年は流刑となる苦難の時期を過ごした。1942年、日本軍がインドネシアに侵攻すると釈放され、日本の協力による独立を模索した。

インドネシア共和国の独立

 1945年日本軍の敗北後の8月17日、インドネシア共和国独立宣言を発表し翌日には、初代大統領に選出されたが、オランダが再び植民地支配に乗りだしたため、47年から独立戦争を戦い、国連の調停(ハーグ協定)によって成立したインドネシア連邦共和国で改めて初代大統領となった。1950年に単独のインドネシア共和国となる。
 → スカルノの時代

第三世界の指導者として活躍

 スカルノは1950年代から60年代にかけて、第三世界の指導者の一人として国際政治面で活動した。特に1955年にはインドネシアのバンドンで開催されたアジア=アフリカ会議では議長として活躍、61年には第1回非同盟諸国首脳会議に参加した。このように国際政治では華々しく活躍し、そのカリスマ的指導力が際だっていたが、実際の国内政治では国民に約束した「貧困からの解放」は進まず、多くの政党が乱立して不安定になっていた。

ナサコム体制

 議会制民主政治が危機を迎えると、スカルノは「指導される民主主義」を唱え、軍部と共産党の勢力を基盤に1963年から独裁権力を握り、憲法を改定して終身大統領に就任し、首相も兼ねることとなった。彼が提唱した民族主義(国民党)、宗教(イスラーム教)、共産主義(共産党)の三者の協力体制をナサコム(NASAKOM)という。またスカルノは、1963年にマラヤ連邦が北ボルネオのサラワクとサバを併合してマレーシア連邦が成立し、国連に加盟したことに反発して、1965年には国連を脱退した。

九・三〇事件で失脚

 しかし、1965年に共産党系の軍人が起こした九・三〇事件のクーデタ失敗を機にナサコム体制が崩れ、実権を軍を背景としたスハルトに奪われ、失脚した。1968年第2代大統領となったスハルトは、スカルノの社会改革路線と共産圏よりの外交を改め、「開発」路線と親米路線をとることとなる。なお、現在日本のテレビのバラエティ番組で活躍するデヴィ夫人は、その何番めかの夫人でした。