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モスクワ=オリンピック

1980年に開催されたが、ソ連のアフガニスタン侵攻に反発したアメリカ、日本など西側諸国がボイコットした。

 1980年のモスクワ=オリンピックは、近代オリンピックは共産圏で初めて開催されることになっていたが、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議したアメリカのカーター大統領がボイコットを呼びかけ、イギリス、フランス、西ドイツ、イタリア、日本などがそれに応じて不参加を表明した。結局、中国も含め60ヵ国が参加しないという、オリンピック史上政治に翻弄された最悪の大会となった。イギリス、フランスはオリンピック委員会が政府の方針に反して個人資格での参加を認めたので、国家代表としてではなく参加した選手もいた。日本には柔道の山下泰裕選手、マラソンの瀬古利彦選手など、メダルが有望視されていた選手がいたが、涙ながらに断念した。

中国も不参加

 1979年には中国(中華人民共和国)とベトナム間の中越戦争が起こり、ソ連はベトナムを支援するなど、当時は依然として中ソ対立が続いていた。おりから中ソ友好同盟相互援助条約も期限切れになり、同年に廃棄された。新たな関係の模索が始まろうとしていたが、そこにソ連のアフガニスタン侵攻が起こったため、中国もモスクワ=オリンピックをボイコットした。

ロサンゼルス=オリンピックはソ連がボイコット

 なお、次の1984年のロサンゼルス=オリンピックは、報復のため(名目的には1983年のアメリカ軍のグレナダ侵攻に抗議して)ソ連及び東欧諸国が参加をボイコットした。スポーツが東西対立の道具とされた「新冷戦」時代の愚行であったが、この時スポーツ大国の東ドイツは参加を熱望していたとされ、ソ連と東欧諸国に亀裂が入る一因となったといわれている。

政治利用から商業主義へ

 またロサンゼルス=オリンピックは「税金を使わない」オリンピックをめざし、スポンサーの広告料収入、TVの放映権で運営された最初のオリンピックだった。オリンピックの商業化と揶揄されたが、その次の88年ソウル大会はソ連として参加した最後の大会となり、92年バルセロナからは冷戦終結を受けてオリンピックの政治利用は影を潜めた。
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ノートの参照
第15章5節 エ.ファシズム諸国の敗北