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国際オリンピック大会/近代オリンピック

1896年、第1回がギリシアのアテネで開催され、以後4年に一度開催が続いたが、世界大戦での中止や政治的理由でのボイコットなども起こった。

 近代オリンピックの第1回は、1896年4月6日に古代オリンピック発祥の国ギリシアの首都アテネで開催された。以後、第二次世界大戦中を除き、4年ごとに開催されている。この近代の国際オリンピック開催が決定されたのは1894年6月23日(現在この日はオリンピック・デーとして記念日とされている)、パリ国際スポーツ会議においてであった。この会議を提唱したのがフランスのクーベルタン男爵であった。

古代オリンピックの精神

 19世紀前半に興った古代ギリシア賛美の文化運動であるギリシア愛護主義の運動が最高潮に達していたこと、ちょうどこのころ、ギリシアでシュリーマンのトロヤやミケーネの発掘に続いて、ドイツ人のクルティウスが古代オリンピア遺跡発掘を成功させていたことが背景にあった。クーベルタンは、競技会開催中は戦いを止めること、ポリスの名誉のために戦い、勝者には月桂樹の冠が与えられるだけというアマチュアリズムなどの古代オリンピックの精神にもとづいた国際大会の開催を提唱し、満場一致で採択されたのだった。

オリンピックと戦争

1940年 まぼろしの東京大会  近代オリンピックは20世紀を通じて国際的な友好を深める上で大きな役割を果たしたが、1916年の第6回ベルリン大会は第一次世界大戦のため、1940年の第12回東京大会は前年の1939年9月、ドイツ軍がポーランドに侵攻し第二次世界大戦が勃発しており、日本の陸軍が開催に反対したため開催権を返上、ヘルシンキに予定地を移したが結局、中止になった。1944年の第13回ロンドン大会も戦争継続中だったので中止された。近代オリンピックが中止になったのは世界戦争中のこの3回だけである。戦後初の1948年第14回ロンドン大会には、敗戦国ドイツと日本は招待されず、戦争が尾を引いていた。

1936年 ベルリン大会

 オリンピックの政治利用と言えば、1936年の第11回ベルリン大会ではナチス=ドイツの国威発揚に利用されたことが顕著である。この時、日本選手は陸上の田島直人、村社(むらこそ)講平、水泳の前畑秀子らが活躍した。朝鮮人の孫基禎が日本代表としてマラソンに参加、金メダルを獲得した。当時の京城で発行された東亜日報の表彰式のニュースで孫選手の胸の日の丸が消されて朝鮮総督府によって発行禁止にされた。

1972年 ミュンヘン大会

 大会中にテロに見舞われたのが1972年の第20回ミュンヘン大会だった。パレスチナ=ゲリラ「黒い9月」によるテロによってイスラエル選手17名が犠牲になった。1980年の第22回モスクワ大会は、前年のソ連のアフガニスタン侵攻に抗議してアメリカ大統領カーターがボイコットを呼びかけ、日本も従った。直前の決定だったこともあって柔道の山下泰裕やマラソンの瀬古利彦などが涙ながらに抗議したが受け入れられなかった。次の1984年ロサンゼルス大会には、報復としてソ連など東側諸国がボイコット、東西冷戦がスポーツに最も過酷な犠牲を強いたケースとなった。

黒人の人種差別抗議行動

メキシコオリンピック

メキシコオリンピックでの黒人メダリストの抗議
Wikipedia ブラックパワーサリュートの記事より

 1968年のメキシコ・オリンピックの男子200mの表彰式で、金メダルのトミー=スミスと、銅メダルのジョン=カーロスは、国旗掲揚のときに黒手袋(グローブ)をはめた手を突き上げ、頭を垂れて抗議した。海上からブーイングが巻き起こりIOCのブランデージ会長は二人の行為はオリンピック憲章に違反するとしてオリンピック村から追放処分とした。二人は、黒人差別に抗議して黒い手袋(もっとも一人は忘れてきたので片方ずつを二人で着けた)と黒いスカーフを着け、貧しさの象徴としてシューズを履かずに黒い靴下だけで表彰台に上がったのだった。胸には抗議のバッチを着けていたが、銀メダルだったオーストラリアの選手も二人に同調してバッジを着けた。
 この映像は世界中に流され、思い切った黒人選手の抗議行動に賛否両論がわきあがった。当時アメリカでは公民権運動が盛り上がっていたので、二人の行動は黒人からは称賛されたが、一方でオリンピックにはふさわしくないという冷ややかに受け止め方もあった。世界が注目するイベントであるだけに、世界に黒人差別反対を訴える強烈なメッセージとなったことはたしかであろう。
 現在では当初のアマチュアリズムは姿を消し、商業主義への傾斜が強いことを批判する声も強い。オリンピックを“国威発揚”ととらえるのはもはや時代遅れなのかも知れない。同時に純粋な“スポーツの祭典”という理想ももはや変質している。

NewS 2020東京オリンピック延期

 2020年夏に予定されていた東京オリンピック・パラリンピックが、春になって一気に世界を席捲した新型コロナウィルスのパンデミックにより、1年間延期されることとなった。古代オリンピックは延期されたことはあったのだろうか。そんな疑問に答える記事が朝日新聞に掲載された。
(引用)神に捧げる祭典ですから、参加する国家群が苦境にある場合も中止しませんでした。紀元前480年ペルシア軍が侵攻してきた時も行われたし、古代ギリシア世界を二分したペロポネソス戦争紀元前431年~同404年)の開戦直後に、アテネでは疫病が蔓延し、人口の3分の1が亡くなりましたが、紀元前428年の第88回大会は実施されました。祭りによって疫病を鎮めてもらう意図もあったと思います。
 延期されたのは第211回大会です。本来は紀元65年でしたが、ローマ皇帝だったネロが“2年後なら自分も参加できる”と、67年に延ばさせたのです。当時のギリシアはローマ帝国の属州だったので、逆らえませんでした。ネロは自ら競技に参加し、周囲が忖度した結果、いくつかの競技で“優勝”しました。<朝日新聞 2020年4月5日 学芸欄 橋場弦東大大学院教授へのインタビュー>
 橋場教授はインタビューの中で現代のオリンピックは本来のそれとどう違っているのかについて
  • クーベルタンは「アマチュアリズム」をオリンピック精神としてあげているが、古代オリンピックでもプロの競技者としか考えられない人たちが多数参加していた。
  • 「オリンピックは参加することに意義がある」といわれるが、古代オリンピックは優勝者のみがゼウスに認められると考えられ、帰国後故国でで生涯特別な扱いを受けた。
  • 「聖火リレー」は1936年のベルリン大会でナチスドイツが新たに創造したもの。オリンピアの聖火はゼウスに捧げる牛などの供物を焼くためのものだった。
  • 古代オリンピック競技は神に見てもらうためのものであったが、近代オリンピックは国民国家が神に取って代わり、競技者も国民を喜ばすために頑張るようになった。
  • 古代オリンピックは都市国家の政治エリートが一体感を共有する場でもあり、その間は国家間の紛争も棚上げされた。近代オリンピックは国民国家が競う場となり、冷戦崩壊後はグローバル資本などに取って代わられた。
などと説明している。<朝日新聞 2020年4月5日 学芸欄 橋場弦東大大学院教授へのインタビュー>
 確かに近年のオリンピックは政治利用が目立ち、各国がメダルの数を競ったり、また「おもてなし」を競争する招致合戦そのもののショー化、アメリカのメディアの事情が優先されるなどの変質が著しい。今回、疫病の世界的流行という人類の生命・健康・生活の危機のもとでは、スポーツの祭典どころではない、という事態が起こった。ここいらでオリンピックのあり方をもう一度考えてみたら、というギリシアの神々の声が聞こえるようだ。<2020/4/7 緊急事態宣言が出された日>
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広畑成志
『アテネからアテネへ
オリンピックの軌跡』
2004 本の泉社