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ムバラク

1981年、サダト暗殺によって後継となったエジプト大統領。対イスラエル和平路線、経済成長重視の政策を続けたが、軍を背景とした強権政治による長期政権を維持し、反対派の言論や自由を抑圧したため民衆の不満が高まり、2011年の「アラブの春」が波及して民衆蜂起によって退陣させられた。

 エジプト=アラブ共和国の大統領。エジプト空軍の元帥から、サダト大統領の副大統領となった。1981年、サダト大統領暗殺により、非常事態を宣言し、国民投票で大統領に選出された。エジプトの課題は産業基盤の確立と経済近代化であるとするサダト大統領の政策を継承した。翌82年には予定されたシナイ半島返還が実現した。イスラエルとの和平を維持し、アメリカとの経済的結びつきを強めて友好関係を保ち、その一方でサダト大統領の対イスラエル和平で冷え切ったアラブ諸国との関係回復に努め、1989年にはアラブ連盟に復帰した。1990年にはイラクのフセイン政権のクウェート侵攻に対するアメリカの制裁に賛成し、湾岸戦争での多国籍軍に参加した。
日本の援助によるスエズ運河拡張 サダト時代の1975年から80年までのスエズ運河拡張(スエズ運河は幅と水深が不足し、大型タンカーが通過できなかったので、それを可能にするような拡幅を行った)を主として日本の援助で行っていたが、現在、第2期拡張(運河の複線化)が計画されている。

強権的な長期政権となる

 しかしその親米的な世俗路線に反対するイスラーム原理主義勢力には厳しい弾圧を行った。ムバラク大統領は国軍最高司令官を兼ね、首相・閣僚の任免権、議会の解散権を持ち、長期政権を維持した。一方で反体制派に対しては令状なしの拘束によって排除するなど、人権抑圧が問題となっていった。
 2005年に初めて複数候補による選挙が行われたが、ムバラクは90%の得票で再任され、次点の野党ガッド(「明日」の意味)の候補者は7%だった。その候補も政党設立で書類偽造があったという疑いで収監されてしまった。

ムバラク政権の崩壊

 2011年1月、チュニジアで始まったアラブ諸国の民主化運動「アラブの春」がエジプトに波及、ムバラク長期政権への不満、怒りから大規模なデモが起こり、2月11日、ついに大統領は辞任に追い込まれた。
31年続いた非常事態宣言、ようやく解除される 2011年春、チュニジアに始まったアラブ民主化運動はエジプトに飛び火し、ついにムバラク政権も崩壊した。全権を握る軍最高評議会が2012年5月31日に声明を出し、1981年からエジプトで発令されていた非常事態令を完全に解除した。軍評議会は「革命1周年」を控えた今年1月24日、「暴徒対策などを除き、原則として解除する」と発表していた。非常事態令は、令状なしの拘束を可能にするなど政府の権限を大幅に広げて市民の行動を制限する法律。ムバラク前大統領が大統領就任直後に発令した。強権支配を支える最大の道具となり、民主化勢力は撤廃を求め続けていた。(朝日新聞などによる)
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