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エジプト=イスラエルの和平

1978年、エジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相の間で和平が成立。パレスチナ問題の解決に向かうかと思われたが、エジプトがアラブ世界で孤立し、サダトが暗殺され、解決には至らなかった。

 第二次世界大戦後、4次にわたって中東戦争が繰り返されたが、1978年9月、アメリカのカーター大統領の仲介で、エジプトサダト大統領とイスラエルベギン首相の間で、和平交渉が行われ、戦闘行為を停止することで合意した。またとれとともに、エジプトはイスラエルを承認し、イスラエルはシナイ半島をエジプトに返還することに合意した。

和平にいたる経緯

 1973年の第4次中東戦争まではイスラエルは中東で周囲のアラブ諸国に包囲される中で、アメリカの支援があるだけで孤立していた。そのような中で1977年6月、イスラエルに右派リクード党が初めて選挙で勝ち、党首ベギンが政権を握り、状況の打開を探っていた。一方、エジプトのサダト大統領はイスラエルとの軍事対立が財政を圧迫し、アメリカの経済援助を期待するようになった。そこで1977年11月19日、サダトは電撃的にイスラエルを訪問、イェルサレムの国会で演説して世界を驚かせた。

当事者抜きの問題解決

 ベギンにとってはシナイ半島を返還してもエジプトと和平することによって宿敵PLOを孤立させ、叩く機会がくると考えた。そのような両者の利害が一致し、パレスチナ問題の最大の当事者であるPLOを抜きにして中東和平交渉が始まった。1978年9月17日、両者はアメリカのカーター大統領の仲介という形でキャンプデーヴィッド合意を発表し、翌79年3月にエジプト=イスラエル平和条約に調印、イスラエルはシナイ半島をエジプトに返還することに合意した。

和平後の中東情勢

 世界は中東和平の実現ととらえ歓迎したが、他のアラブ諸国とPLOは激しくエジプトを批判、エジプトはアラブ世界で孤立し、「アラブの盟主」という立場を放棄しなければならなくなった。エジプトにとっては国内経済の立て直しと発展のためにはアラブ世界での孤立を厭わなかったのである。しかしエジプト国内でも和平に反対する勢力も強く、1981年、サダトは暗殺された。
 これが中東和平を実現するものではないという懸念は間もなく現実のものとなり、ベギンのイスラエルは南部の憂いをなくした上で、北部のレバノンのPLOを叩くために、1982年にレバノン侵攻に踏み切り、対立は新しい段階に突入することになった。これを第5次中東戦争という場合もある。

パレスチナ問題の転換

 パレスチナ問題は第1次から第4次中東戦争に至るまで、イスラエル対アラブ諸国(その中心がエジプト)という国家間の対立として続いたが、エジプト=イスラエル和平以後の対立軸はイスラエル対パレスチナ・ゲリラ(PLO)に移ることとなった。アラブ側は一枚岩が崩れ、PLOの孤立した戦いが続くことになる。
 そのような中でアラブ側の若い世代のイスラエルやエジプトに対する怒りは、よりラディカルなイスラーム原理主義を拠り所とした自爆テロ戦術に転換して行き、9.11につながることになる。 → パレスチナ問題(1980年代)  パレスチナ問題(1990年代~現代)
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