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パレスチナ暫定自治協定

1993年のオスロ合意に基づきイスラエルとPLOの間で、パレスチナが自治政権を樹立することで合意した。基本的には両者が「二国共存」を認める画期的なものであったが、和平の実現には到達していない。

 第二次世界大戦後の、不安定要素のひとつであったパレスチナ問題の解決を目指して、1993年に成立したオスロ合意に基づき、アメリカのクリントン大統領を仲介として、イスラエルラビン首相と、パレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長の間で締結された、「パレスチナの暫定自治に関する原則宣言」。その内容は、
・5年間のパレスチナ暫定自治を行い、その三年目までに最終的地位に関する交渉を開始し、暫定自治の終わる5年後に、最終的地位協定を発効させる。
・最終的地位協定には、イェルサレムの帰属、パレスチナ難民の処遇、安全保障、国境確定などを含む。
となっていたが、実際の交渉は大幅に遅れ、実現しなかった。しかし、イスラエルとパレスチナという当事者同士がテーブルに着き、和平の道筋について大筋で合意したことの歴史的意義は大きい。この功績によってラビンとアラファトは94年のノーベル平和賞を受賞した。
 またこの協定に基づきパレスチナ暫定自治行政府が成立し、7月1日にアラファト議長が25年ぶりにパレスチナに戻り、翌年にはパレスチナで総選挙が行われ、暫定自治政府代表にアラファトが選出された。
 しかし、現実には和平反対勢力のテロの応酬や各地で両者の衝突事件が相次ぎ、オスロ合意の最終的地位協定に関する協議は始まらなかった。95年11月にはラビン首相が暗殺され、イスラエルでは右派のネタニエフ政権が誕生し、交渉は完全に行き詰まった。
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