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パナマ侵攻

1989年、ブッシュ政権下のがアメリカ軍がパナマに侵攻、パナマ運河への既得権を守ろうして反米的なノリエガ政権を排除した。

 中米のパナマでは、パナマ運河地帯の永久的な使用権を持つアメリカの実質的支配下にあったが、第二次世界大戦後に、その返還を要求する声が強まり、1977年には軍事政権のトリホス大統領がアメリカのカーター大統領と交渉して新パナマ運河条約(パナマ運河返還条約)を締結し、1999年末での返還を約束させた。次いで1981年にはトリホス大統領が飛行機事故で死去してノリエガ大統領に代わった。ノリエガ軍事政権は反米的姿勢をとりながら独裁色を強め、また麻薬組織とのつながりも強かったため、アメリカはその排除を画策した。

アメリカ軍のパナマ侵攻

 アメリカの共和党レーガン政権を継承したブッシュ(父)大統領は、ニカラグア内戦が終結して、ノリエガの利用価値が無くなると、それを切り捨てる決意をした。パナマへの侵攻の口実としたのは、「パナマの政情が不穏になり、アメリカ人の生命が危険にさらされている。アメリカ人の生命とパナマの民主主義を守り、麻薬取引を撲滅する」ということであった。ノリエガ将軍がコロンビアの麻薬組織(メディジン・カルテル)と結んで麻薬をアメリカに密輸し、資金源としていたのは事実であったが、アメリカ人の生命が脅かされている事実は無かった。
 1989年12月20日、パナマに駐屯していた1万3千に加え、本土から9500人の海兵隊、陸海軍を動員し、アメリカ軍がパナマに侵攻、それに対するパナマ国防軍は1万5400人、装備も格段に劣るなかで首都の総司令部は早朝一揆の攻撃で陥落した。
 ノリエガ将軍は行方をくらまし、パナマ市内のバチカン大使館にかくまわれていたが、逃れられないと観念して投降した。そのままアメリカ軍に連行され、マイアミで裁判にかけられ、麻薬取引、麻薬組織からの収賄などの罪で、禁固40年の実刑判決を受け、アメリカの刑務所に服役した。2007年に釈放されたが、フランスの裁判所から麻薬資金の資金洗浄を行った罪状で再び有罪となったためフランス当局に身柄を引き渡された。2011年にパナマに身柄を引き渡され、2017年3月、病死した。

Episode パナマ市民が米軍を歓迎?

 アメリカ軍のパナマ侵攻は、テレビ中継され、アメリカの家庭に映像が流された。そこに映し出されたのは「パナマ市民は米軍を解放者として迎えている」というニュース画面であった。カメラが大写しにした市民は「米軍歓迎」と書いたプラカードや星条旗を振っている。彼らはまた英語でインタビューに答えた。実はそこにいたのはほんの20人でしかなかったが、画面はそこだけを大写しにしていた。実際にパナマで取材した朝日新聞特派員の伊藤千尋さんは「このような画面を見たときは、疑ったほうがいい」と断言し、このような作られた映像で世論が操作されることに「テレビは魔物」だと注意を促している。<伊藤千尋『反米大陸』2007 集英社新書 p.160>

パナマ国軍の解体

 1989年、アメリカ軍の侵攻によりノリエガ政権が倒れると、ノリエガ独裁政権を支えていたパナマ国防軍に対する非難が強まり、パナマは憲法を改正して軍隊を持たないことを決定し、正式には1994年の憲法で軍隊の放棄を明記した。背景には、パナマ国防軍が前大統領トリホスの飛行機事故死に関与していたことなどが明らかになって、国民的支持を失ったことと共に、アメリカも軍隊によるクーデターを嫌ったことが挙げられる。
 前トリホス大統領がアメリカのカーター大統領との間で締結した条約により、1999年にパナマ運河がパナマに返還されると共に、アメリカ軍も撤退し、パナマは文字どおり「軍隊のない国家」となった。
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書籍案内

伊藤千尋
『反米大陸』
2007 集英社新書