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中東

西アジア一帯をさす Middle East の訳語。イギリス・フランスの植民地・委任統治から独立した国が多い。アラブとイスラエルの対立など、世界の最も深刻な紛争地帯となっている。

「中東」の意味

 かつては「中近東」という地域名がよく見られたが、最近は、西アジア一帯を「中東」ということが多い。この「中東」は、Middle East (Mideast)の訳語で、20世紀になってから、この地域を植民地支配したイギリスで使われたものである。初めは、日本・中国・東南アジアを「遠東」、ビルマ・インド・アフガニスタン・イランを「中東」、オスマン帝国領とアラビア半島を「近東」と区分していたが、第二次世界大戦で、エジプトに置かれたイギリス軍司令部が「中東」総司令部と言われるようになった。現在では一般に、東はアフガニスタン・イラン、西はエジプト・スーダン、北はトルコ、南はアラビア半島諸国に囲まれた範囲を言う。<藤村信『中東現代史』岩波新書 p.2> → 中東問題/パレスチナ問題
※中東の範囲は一定しないが、現在では、西はさらにリビア、チュニジアまで含めて語られることが多い。さらに広く捉えてイスラーム圏であるアルジェリア、モロッコも含まれることもある。

現代の中東の諸国家

 現代の中東諸国の国家・政治形態を整理すると次のように分類される。
  1. 「共和政」国家:議会制民主政が行われている、イスラエル・トルコ・レバノン・フセイン後のイラク・アラファト後のパレスチナ自治区
  2. 独裁国家:形態は議会制民主主義だが実質的に一党独裁体制であった、ベンアリ時代のチュニジア・ムバラク時代のエジプト・カダフィ時代のリビア・サレハ時代のイエメン・アサドのシリア・アルジェリア・スーダン
  3. イスラーム共和政国家:イラン革命後のイラン
  4. 専制君主政国家:サウジアラビア・アラブ首長国連邦・オマーン
  5. 立憲君主政国家:バーレーン・ヨルダン・モロッコ・クウェート・カタールなど
<森戸幸次『中東和平構想の現実―パレスチナに「二国家共存」は可能か』2011 平凡社新書 p.104 を参考に多少修正した。>

参考 <中東>をどう考えるか

 「中東」という地域概念は、欧米によって導入された。だから、そこに住む人たちにとっては、実体意識の薄い概念である。「中東」はどこか、という定義も実ははっきりしない。もともとペルシア湾岸地域の代名詞として名付けられて以来、その対象は地中海沿岸に広がり、最近ではアフガニスタンも含まれたりする。9.11事件以降、アメリカのブッシュ政権は、パキスタンやソマリアまで含めた「拡大中東」という地域概念を「欧米にとって危険な地域」的な意味で使っている。そこに住んでいる人たちにとってあまり快く思われない「中東」ということばは使うべきでないが、それに代わる地域概念は、アラブでもイスラームでもくくることはできない困難さがある。そのこと自体がこの地域の複雑さと流動性を示している。
(引用)日本人にとって「中東」が地理的に「東」でないのに「東」と呼ばれているのは、大英帝国がそのアジア進出の過程でこの地域を Middle East と呼んだ、その直訳だということはよく知られている。この単語が出てくるのは、1902年にアメリカの戦略理論家マハンが、大英帝国の戦略拠点としてのペルシア湾岸地域を指して使ったのが最初だ。同時期の著名な英ジャーナリストのチロルは、これにアフガニスタンからチベットまでを加えている。一方「近東(Near East)」は、だいたいオスマン帝国の領域に一致して使われた。ヨーロッパの世界戦略の過程で、とりあえず「中東」「近東」と名付けられたその「東」とは、必ずしも方位学上の東ではない。むしろ「オリエント」、つまりヨーロッパではないが、ヨーロッパに隣接する「異国」という意味合いである。<酒井啓子『<中東>の考え方』2010 講談社現代新書 p.31-32>
 これに続いて著者は問題を出している。「中東や近東、極東は世界にあるが、ではインドやパキスタンは歴史的には『何東』なのか?」

答え

参考 レンティア国家

 「中東」のペルシア湾岸諸国はいずれも石油資源が豊かな産油国であると同時に、世襲的な首長が主権を持つ首長国であり、議会や政党など近代的な政治システムや、民主的な社会制度はほとんど見られない。また国内の貧富の差は大きく、外国からの労働者も多い。しかし、政治的・社会的な不満はほとんど表面化しない。なぜ、前近代的な首長権力が維持され、格差が政治の不安定につながらないのか。
 中東湾岸諸国では過去40年の間、政治的な不安定が表面化したのは、イラン革命後にサウジアラビア東部とバーレーンでシーア派住民の暴動が発生しただけで、あまり見られない。その理由として、次のような説明がある。
(引用)それは、こうした産油国政府が、国民から税金を取るのではなく、石油収入を国民にばら撒いて国民の支持を確保する「レンティア国家」の典型例だからである。産油国のように不労所得で成り立つ経済を「レンティア経済」といい、一般的に、レンティア国家では民主化が遅れがちだと論じられることが多い。「代表なくして課税なし」という有名な民主主義原則の言葉通り、税金を課されず裕福な生活が保障されていれば、国民はさほど熱心には政治参加を求めないだろう、という発想が、湾岸産油国の経済運営の底流にある。・・・産油国では、格差はあっても、底を十分あげることで、それが社会問題化しないようにしているのである。<酒井啓子『<中東>の考え方』2010 講談社現代新書 p.63-65>
 サウジアラビアを初めとする、クウェートアラブ首長国連邦、カタール、バーレーン(バハレーン)、オマーンといった湾岸首長国は、いずれも「レンティア国家」に該当すると考えられる。ただ、ペルシア湾北岸のイランはアラブ系ではないが、1979年に一種の首長制的な政権であったパフレヴィー朝が倒され、民主化(といってもかなり特殊な民主化だが)されるというイラン革命が起こっている。