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ネブカドネザル2世/ネブカドネザル王

前6世紀前半の新バビロニアの王で、ユダ王国を滅ぼし、ユダヤ人をバビロンに連行(バビロン捕囚)した。

 アッシリア帝国滅亡後の4国分立時代、メソポタミアを支配した新バビロニア王国第2代の王。単にネブカドネザル王とも言われる。在位前604年~前562年。前586年には西方のパレスチナのヘブライ人(ユダヤ人)のユダ王国を滅ぼし、多数のユダヤ人を首都バビロンに連行した。これが「バビロン捕囚」である。またフェニキア人の商権を押さえ、多くの富をもたらし、バビロンは古バビロニアのハンムラビ王時代以来の繁栄を享受した。

バビロンの繁栄

 ネブカドネザルは首都バビロンを大規模に拡張し、全市を全長18kmにおよぶ二重の城壁で囲み、その数カ所にいくつかの豪華な飾りを持つ城門を設け、南北に縦断する幹線道路を作った。その門の一つ「イシュタル門」は現在、ベルリンのペルガモン博物館に復元されている。また巨大な聖塔(ジッグラト)を完成させたが、それは旧約聖書の「バベルの塔」の原型であると考えられている。またバビロン市内に国家神であるマルドゥク神殿などの神殿が多数設けられた。そして世界の七不思議の一つに数えられている「空中庭園」は一種の屋上庭園で、メディアから嫁いできた王妃アミュティスの郷愁を慰めるために建設されたという。

Episode 現代のネブカドネザル王

サダム=フセイン(左)とネブカドネザル王(右)
サダム=フセイン(左)とネブカドネザル王(右)を描いたイラクの壁画。『メソポタミア文明』1994 知の再発見双書 43 p.151 より
 ネブカドネザル王(2世)は西欧キリスト教世界でもよく知られた王である。1842年に発表されたイタリアの作曲家ヴェルディの歌劇『ナブッコ』はネブカドネザル(そのイタリア語読みがナブッコ)によるバビロン捕囚を題材としている。
 その名を現代に蘇らせたのは、何と言っても現代イラクの大統領サダム=フセインである。彼はイラクで圧倒的な独裁権力を獲得し、イラン=イラク戦争をしかけ、さらにクウェート侵攻を実行して国際的な非難を浴び、湾岸戦争でアメリカを主力とする多国籍軍に叩かれ、イラク戦争でついに捕らえられて独裁政権が崩壊、2006年に処刑された、まさに20世紀末から21世紀初めの世界史の渦の中心にいて、それをかき回した人物といえる。そのサダム=フセインは国内では絶大な人気(といっても恐怖政治による作られた人気であったが)を誇り、湾岸戦争時に自らを「現代のネブカドネザル王である」と言ったという。それはユダヤ人の国、現代のイスラエルを敵視したアラブの独裁者らしい言い方であり、自らを現代のバビロン捕囚を実行できる王であると表明したことになる。1978年、サダム=フセインが大統領になる前の年に、イラク考古学局は新バビロニア王国のネブカドネザル王などが統治した都バビロンの復元に着手、イシュタル門(釉薬をかけて焼いた青色の煉瓦壁に雄牛や獅子の金色のレリーフが施されている)などの宮殿が作られた。それはサダム=フセインの独裁権力をも象徴するものとなった。右図はイラクの街の壁画に描かれた、バビロンの宮殿やハンムラビ法典などバビロニアの文明遺産イシュタル門の前で対面しているサダム=フセインとネブカドネザル王。<ジャン・ボッテロ他『メソポタミア文明』1994 知の再発見双書 43 p.151>