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ベヒストゥーン碑文

前6世紀末、アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世が内戦に戦勝したことを記念に都ペルセポリスの郊外の山腹に作られた巨大な石碑。ダレイオス1世の勝利を示すレリーフと、古代ペルシア語、エラム語、アッカド語の3言語で書かれた碑文が楔形文字で彫られている。1847年、イギリス人ローリンソンによって解読された。

 アケメネス朝ペルシア帝国の全盛期の王ダレイオス1世(古代ペルシア語ではダーラヤワウ、ダーラヤワウシュ)は、前522年に即位した。前王のカンビュセス2世の死後に起こった王家の内紛を鎮定した記念碑を、都のペルセポリスの近郊、ザクロス山脈中の岩山の絶壁に造営した。このベヒストゥーンの石碑は巨大なレリーフ像と多くの楔形文字が彫られている。この碑文はカージャール朝時代に、イギリスの軍事使節団の一人であったローリンソンによって1847年に解読され、さらにドイツ人のグローテフェントの詳細な研究によって内容が解明された。<J.ボッテロ『メソポタミア文明』知の再発見叢書 創元社>

碑文の内容

ベヒストゥーン碑文
ベヒストゥーン碑
Wikimedhia Commons
 ベヒストゥーン碑文は、イラン西部の都市ケルマンシャーの東方35kmの岩山、地上66メートルの崖の上に作られており、人々が見上げることでその威容を感じ取る仕組みになっている。中心になる図像レリーフは中央に有翼円盤を持つ神像が描かれ、その下の左手にひときわ大きくダレイオス1世が立ち、右手には彼によって鎮圧された反乱軍の9人が首に縄を付けられ、後ろ手に縛られて引き立てられている。さらに王の足は反乱の首謀者と思われる人物が仰向けになり、踏みつけられている。その周りには二人の兵士が王を警護している。まさにダレイオスが反乱を鎮圧したことを図像上で表現したものである。
 レリーフを取り囲むように楔形文字のテキストが彫られている。このテキストは古代ペルシア語エラム語、アッカド語(バビロニア方言)の三種類の言語でダレイオス1世の功績をたたえ、その即位の事情に突いての公式見解を示している。このテキストは崖下の人間は読むことができないので、その対象は、天空に住まう神を想定していたのであろう。<阿部拓児『アケメネス朝ペルシア』2021 中公新書 p.82-83>

資料 ベヒストゥーン碑文の抜粋

(引用)第1欄1~6行 私はターラヤワウ(ダレイオス)である。偉大な王であり、王の中の王①である。ペルシアの王にして、諸国の王である。・・・私の父はウィシュタースパ、ウィシュタースパの父はアルシャーマ、アルシャーマの父はアリヤーラムナ、アリヤーラムナの父はチシュピ、チシュピの父はハカーマニシュ(アケメネス)②である。
11~12行 ダーラヤワウは王として宣言する。アフラ・マズダー③の恩恵により私は王である。アフラ・マズダーは私に王権を授けた。
ダーラヤワウは王として宣言する。アフラ・マズダーの恩恵により、私に帰属し、私が王となった国々は、パールサ(ペルシア)、ウーヴジャ(エラヌ)、バービル(バビロニア)、アスラー(アッシリア)、ワラバーヤ(アラビア)、ムドラーヤ(エジプト)、海岸地方、スパルダ(サルディス)、ヤウナ(イオニア)、マーダ(メディア)、アルミナ(アルメニア)、カトパトゥカ(カッパドキア)、パルサワ(パルティア)、ズランカ(ドランキアナ)、ハライワ(アリア)、ウワーラズミー(コラスミア)、バークトリア(バクトリア)、スグダ(ソブディアナ)、ガンダーラ、サカ(スキュティア)、サタグ(サッタギュディア)。ハラウワティ(アラコシア)、マカ(マクラーン)、の計23国である。
ダーラヤワウは王として宣言する。アフラー・マズダーの恩恵により、これらの国々は、私に帰属し、私に服従し、私に貢物を献じた。私が彼らに昼に、あるいは夜に命じたことは、実行された。
ダーラヤワウは党として宣言する。これらの国々において、忠誠な者に私は恩賞を与え、不忠な者を問責し罰した。アウラー・マズダーの恩恵により、これらの国々は私の法を厳守した。私が彼らに命じたとおりに、実行された。・・・下略・・・
<歴史学研究会編『世界史史料』1 古代のオリエントと地中海世界 岩波書店 p.321-323 岡田明憲訳>
注① 「王の中の王」 この後長い間イランの帝王の称号となる。
注② 一般的にはギリシア語でアケメネス、またはアカイメネスと称され、アケメネス朝のなは彼に由来する。
注③ ゾロアスター教の最高神アフラ=マズダ。アケメネス朝の守護神とされた。
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ジャン・ボッテロ他
『メソポタミア文明』
知の再発見双書 創元社

阿部拓児
『アケメネス朝ペルシア』
2021 中公新書