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楔形文字

シュメール人が発明し、ウルクなどの都市国家で使用され、メソポタミアを中心に古代オリエント世界でアケメネス朝ペルシア時代まで長く使用された古代文字。その後忘れ去られたが、19世紀中頃ローリンソンによって解読された。現在、多数の楔形文字を記した粘土版が発掘され、解読が進んでいる。

 メソポタミア文明の最初の担い手であったシュメール人が、紀元前3100年頃、粘土板にくさび形の文字をきざみはじめた。それが具体的な文字の最古のものと思われる。シュメール人のウルク遺跡からは、多数の楔形文字のもととなった絵文字をきざんだ粘土板が見つかっており、それらはほとんどは、奴隷や家畜、物品の数をかぞえ、穀物の量をはかり、土地面積を計算するという、行政・経済上の記録として用いられたという。<『世界の歴史』1 「都市と帝国」前川和也 p.155~156 中央公論社による> → 文字
 古代オリエントの文字には、エジプトの神聖文字(ヒエログリフ)とともに、メソポタミアといえば楔形文字が連想される。17世紀に中東を旅行したヨーロッパ人がペルシアのペルセポリスやその近くで、楔(くさび、クネウス cuneus)の形をした要素が組み合わさってできた文字を見て、ラテン語でクネイフォルミス cuneiformis 「楔形の(文字)」と呼んだことからこの呼称が始まった。

楔形文字の起源

 最古の楔形文書は、シュメールの都市ウルクで発見されており、ウルク期の後期、紀元前3100年ごろの地層から約5000枚もの大量の粘土版に記されていた線描絵文字がその起源と考えられており、それらは「ウルク古拙文字」ともいわれている。その内容は85%が物と数量を記した記録で、残りの15%が文字リストである。文字リストとは語彙集でもあり、書記になることを目指して読み書きを習っていた生徒が残したもだった。これら古拙文書に記された文字は、神殿の財の出納管理の役割を果たす実用化された文字であり、後の完成された楔形文字に比べて画数は多いが、絵文字というよりは楔形文字に近いものになっている。
 最近(1992年)、アメリカのテキサス大学美術史学科のデニス・シュマント=ベッセラ教授は、ウルク古拙文書に見られる絵文字は「トークン」と呼ばれる小さな粘土製の計算具を先の尖った筆記具で粘土版上に書き写したもので、楔形文字の起源はトークンにある、という新説を発表、注目されている。<中田一郎『メソポタミア文明入門』2007 岩波ジュニア新書 p.64-74>

楔形文字の例

楔形文字の例
楔形文字の例
 右の図はメソポタミアで出土したシュメール人の粘土板。前2300年頃のウル第三王朝時代のもので、農民や鍛冶屋などが一人あたり所有しているロバの頭数を記入しているという。<J.ジャン『文字の歴史』1990 知の再発見双書 創元社 p.19>

表音文字として使用される

 楔形文字はシュメール語を書くための表語文字であったが、前15世紀ごろ地中海東岸で交易に従事していたフェニキア人の都市ウガリトで、それまで約500種類もあった楔形文字が、わずか30字ほどの表音文字として使われるようになり、いわゆるアルファベットと同じ使われ方が始まった。ウガリトは海の民の侵入によって前12世紀ごろに滅んだが、楔形文字は文字数を少なくしたために、他民族に借用されるようになった。

西アジアの公用文字となる

 また、シュメール人の都市国家を征服して前24世紀に初めてメソポタミアを統一したアッカド人は、セム系のアッカド語を使っていたが、文字を知らなかったため、シュメール人の楔形文字を借用した。そしてアッカド王国の支配がメソポタミア全域に及んだため、楔形文字も広くメソポタミア全域で用いられるようになった。
 紀元前14世紀のエジプトではアメンホテプ4世(イクナートン)がテル=エル=アマルナに遷都し、その地でアマルナ革命といわれる一種の文化革命を強行したが、その地から1887年に偶然発見されたアマルナ文書といわれる文書群は380数点におよび、楔形文字で書かれたアッカド語の国際文書であった。この時代にはエジプトと小アジア、イラ高原を含むオリエント全域でアッカド語と楔形文字が国際共通語、共通文字として使われていたことがはっきりした。
 前7世紀前半にオリエントを統一したアッシリア帝国も公用語としてアッシリア語とアラム語を併用し、アッカド語を書くのに楔形文字が用いられていた。次ぎに西アジアを支配したアケメネス朝ペルシアにおいても、ペルシア語を書きあらわす公用文字として楔形文字が使用された。しかし、ペルシア帝国がアレクサンドロス大王によって滅ぼされ、ヘレニズム時代となると楔形文字は使用されなくなり、やがて忘れ去られることとなった。

その解読

 その解読は、ペルシアのペルセポリスの遺跡から出土した碑文を研究したドイツ人のグローテフェントが着手し、19世紀なかごろ(1847年)にイギリスのローリンソンがベヒストゥーン碑文の解読に成功して可能となった。

楔形文字はなぜ粘土板に書かれたか

 現在、文字、図、写真などは紙媒体に記録されることが主流である(それも、電磁媒体に急速にとってかわられようとしているが)。しかし、楔形文字は専ら粘土版が乾く前に葦などで出来たペンで字形を押しつけ、その粘土版を焼くという形で記録された。それは何故だろうか。
(引用)“書写材料といえば、現代ではなんといっても紙である。古代オリエント世界には紙はなかったが、泥ならばどこにでもある。粘土板はどこにでもある泥土が材料であって、西アジアから地中海世界まで広範囲に使用された。沖積平野のメソポタミアには泥はいくらでもあり、最古の書写材料となった。粘土板は保存性に優れているが、くずれやすく、持ち運びに不便である。そこで手紙のように持ち運ぶ粘土板は焼いた。ウガリトからは窯に入れて焼こうとされる寸前の粘土板が発見されているが、これは前1200年頃に「海の民」の侵入でウガリトが滅亡する、まさにその時の粘土板であった。”<小林登志子『シュメル -人類最古の文明』中公新書 2005 p.50-51>
楔形文字は粘土板以外にも、レウムと呼ばれる木の板の上に蝋を塗った書板も使われた。

Episode 未解読の膨大な楔形文字資料

 戦争に火災はつきものだが、パピルスや羊皮紙、植物原料の通常のなどは火災にあったら残らない。
(引用)“だが粘土板は残る。これが西アジアの各遺跡から粘土板が多数出土する理由であって、発掘には「粘土板読み」といわれる文献資料を専門に読む研究者が参加することになる。保存性に優れる粘土板は欧米の博物館を中心に40万枚あるいは50万枚といわれる膨大な枚数が収納されているが、そのほとんどが解読されていない。楔形文字といってもシュメル語やアッカド語とは限らず、そのため各種言語を読める「粘土板読み」の育成が追いついていない。・・・”<同上 p.51-52>
余談 あやうい記録媒体 文字を記録する媒体として、オリエントの楔形文字で使われたものの代表が粘土版である。中国の漢字では甲骨などに始まり、木簡・竹簡が使われていた。これらを媒体とした古代文字資料は続々と発見されている。パピルスや羊皮紙、そして中国に始まる紙の資料はそれにくらべて残りにくい。現代の記録媒体となると、その出現と消滅が慌ただしい。テープレコーダーやカセットテープは一般家庭では見かけなくなってしまったし、コンピューター時代に入ってデジタル化が進んで登場したフロッピーディスクは速くも“絶滅”してしまった。CDも急速に利用されなくなっているという。そういえばMDというのもあったっけ。今やUSBなどで持ち歩いたり、ハードディスクやクラウドで保存したり、というのが主流だろうが、電磁記録には危うさがつきまとう。そういえば、財務省で問題になった国有地払下げ問題でも交渉記録は“消去”されたといわれれば追求出来ない。デジタル化はすばらしい進歩だが、公文書の保管などで新しい問題が起こっている。近い将来、古代オリエントや古代中国のことはよくわかって、21世紀初頭については史料がなく分からなくなってしまった、といった事態が起こるかも知れない。あるいは特殊な「電磁記録読み」の技術者に頼らなければならなくなるかも知れない。
 → 参考 横浜ユーラシア文化館楔形文字粘土版文書データベース

ギルガメシュ叙事詩

ギルガメシュ叙事詩の冒頭部分
ギルガメシュ叙事詩の冒頭部分
 18世紀にアッカドやバビロニア、アッシリアなどメソポタミア文明の古代王国の遺跡から次々と楔形文字の粘土板が発見された。その楔形文字の解読が進み、シュメール人の英雄物語であるギルガメッシュ叙事詩の内容も明らかになった。
 右にあげるのは矢島文夫氏の『ギルガメシュ叙事詩』に掲げられたその冒頭の一文。この楔形文字には次のようなことが書いてある。
  1. すべてのものを国の(果てまで)見たという人 (すべてを)味わい(すべてを)知っ(たという人)とともに(    )知恵を(    )、すべてを(    )した人
  2. (秘)密を彼は見、隠されたものを(彼は得た) 洪水の前に彼はその知らせをもたらした 彼は遥かに旅し、疲れ(果てて帰り着い)た 彼は碑石に骨折りのすべてを(刻)みこんだ 彼は周壁もつウルクの城壁を建てた
  3. 聖なるエアンナの神域の宝庫にしてもそうだ その外壁を見よ、その輝きは(銅)のようだ その内壁を見よ、何ものもこれには及ばない 敷居をつかんでみよ、それは古き昔からのものだ イシュタルの住むエアンナに近づいてみよ
  4. のちの王のだれにせよ、何ものもこれには及ばない ウルクの城壁をのぼり、歩み進め 礎石を調べ、煉瓦をあらためよ その煉瓦が火焼煉瓦ではないかを 七人(の賢人)がその基礎を置いてないかを
<矢島文夫訳『ギルガメッシュ叙事詩』1998 ちくま学芸文庫 p.21,29-30 行番号はわかりやすいように変更した。>