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イランの伝統文化

イラン人は、ヘレニズム以前のアケメネス朝時代に独自の文化を有していた。その伝統はヘレニズム時代を経て、パルティアで復興の兆しを見せササン朝で復興した。

ペルシア帝国からパルティアへ

 イラン人の建てたアケメネス朝ペルシア帝国は、オリエント文明の一角を占め、独自の文化を形成していたが、前4世紀にマケドニアのギリシア人アレクサンドロスに征服され、オリエント世界にギリシア文化と融合したヘレニズム文化が形成された。イランにおいてもギリシア系支配者であるセレウコス朝シリアのもと、ヘレニズム風ギリシア文化が強まった。前3世紀にイラン人の国家を復興させたパルティアにおいても、当初はギリシア文化が保護され、ギリシア語が公用語とされるなど、ヘレニズムが支配的であったが、紀元後1世紀ごろから次第にイラン人としての自覚も強まり、ギリシア文化から脱した独自のイラン文化を発展させるようになった。

イラン固有の文化の復活

 パルティアでは民衆はパルティア語(ペルシア語系の言葉)をアラム文字で書き表していたが、それが公用語とされるようになった。またゾロアスター教などを中心としたイラン固有の文化が復興した。さらに3世紀からのササン朝ペルシアの時期にはイラン文化を開花させた。

イラン=イスラーム文化

 イランはその後、イスラーム教を受容し、イスラーム帝国の支配を受けるようになるが、その高度な文化の伝統はアラブ人にはなかったものなので、文化的にはむしろ主流となり、イラン=イスラーム文化が形成されていく。その後もイラン人はイル=ハン国のようにモンゴル人の支配を受けるなど、変転していくが、異文化を吸収しながらも一貫してイランの伝統文化を保持し、またインドや中国など周辺諸文化に影響を与えている。また中国を通して古代日本の飛鳥や天平文化にも影響が見られることが指摘されている。
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