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ササン朝の文化

ササン朝ペルシア時代、ゾロアスター教などのイラン文化が開花。6世紀のホスロー1世時代にはギリシアの美術工芸も伝えられ、さらに東方にも影響を与え、日本の奈良時代の法隆寺や正倉院にもその影響が見られる。

イラン固有の文化

 ササン朝ペルシアの文化は、メソポタミア文化、ヘレニズム文化を吸収したパルティアの文化を継承し、古代西アジア文化を集約した文化として、次のイスラーム文化や周辺のヨーロッパ、中国にも大きな影響を与えた。イラン人の宗教であるゾロアスター教の聖典アヴェスターが編纂されたのもササン朝時代であった。 → イランの伝統文化

イラン文化の全盛期

ホスロー1世の時代 6世紀の中ごろ、ササン朝ペルシアはホスロー1世(在位531~579年)の時期に全盛期となった。ホスロー1世は税制改革、官僚制の整備、軍制改革などの内政改革を通じて中央集権体制を確立することに成功、国力の充実を背景に積極的な対外策をとり、東方では突厥と同盟してエフタルを滅ぼし、西方では東ローマ帝国のユスティニアヌスに対抗してメソポタミアを確保した。またアラビア半島南端のイエメンを占領していたアクスム王国を駆逐して勢力圏を拡張した。アラビア海に達したササン朝ペルシアは、艦隊をインド、さらには中国にも送り、陸のシルクロード交易とともに盛んに取引を行った。
ギリシア人学者の亡命 学芸文化の面でも、ホスロー1世の治世はササン朝の最盛期とされている。529年ユスティニアヌス大帝の異教学派禁圧によってアテネのアカデメイアが閉鎖されると、亡命したギリシア人学者を受け容れ、首都クテシフォンに哲学や医学などの研究機関を設立して、ギリシアやインドの著作のペルシア語化を盛んに行った。また工芸の振興のためシリアから多くの職人を移住させ、こうした刺激によって金銀細工や小寝具、ガラス器などですぐれた作品が生み出された。これはシルクロードを通じて日本の正倉院御物にまで影響を与えている。ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』が現在のような形に編纂されたのも、王の治世といわれる。こうしたホスロー1世は、理想的な君主として文学の中に名をとどめ、ペルシア人の記憶に長くいきつづけた。<尾形禎亮・佐藤次高『西アジア上』地域からの世界史7 1993 朝日新聞社>

イラン文化の日本への伝播

 ササン朝の文化はシルクロードを等して東方に伝えられただけでなく、中央アジアで突厥と接触したことにより、早くから中国にもその存在が知られていた。3世紀から6世紀のササン朝の時代は、中国では三国時代から南北朝時代を経て隋・唐帝国の時代に当たっていた。特にササン朝が651年に滅亡後、多くのイラン人が唐の都に長安に移住し、唐の文化の国際性をたかめたといわれる。ササン朝がイスラームによって征服されたことで、イラン人の多くはイスラームに改宗するが、その文化遺産は現在までその周辺を含めて継承されている。
 ササン朝様式の工芸品――絹織物、ガラス器、水差し、絨毯――や、特徴的な幾何学模様は、日本でも見ることができる。法隆寺の獅子狩文錦、東大寺・正倉院の漆胡瓶・白瑠璃椀などがそれである。
 次の三点はいずれも正倉院に蔵されている。 → 正倉院ホームページより

白瑠璃碗はくるりのわん
ササン朝ペルシアで制作されたものと言われている。


漆胡瓶しっこへい
鳥頭に象った蓋を持つペルシア風の水差し。木材を細長い薄板にしたものを巻いて作り、表面に黒漆を塗る。

羊木屏風
ササン朝の影響の見られる臈纈ろうけつ染。生命の木と良き動物である羊を描く。