アヴェスター
アフラ=マズダからゾロアスターに与えられた言葉が長く口承によって伝えられ、ササン朝時代にゾロアスター教の経典として編纂が行われた。イスラーム化以前の古代イランの言語、文化、宗教を伝える重要な文献とされている。
ゾロアスター教の聖典
ゾロアスターが創始した古代イランの宗教であるゾロアスター教の聖典。アベスタとも表記する。アラブ征服以前のイラン人の生活を知る上で貴重な文献となっている。『アヴェスター』は、文字を持つ前のイラン人によって長く口承で伝えられてきたが、ササン朝ペルシアにおいて国教とされたとき、さまざまな地域差や教えの違いを統一し、正文をつくる必要がでてきて、その筆写作業が始まり、ホスロー1世(531年に即位)のころ、完成されたと考えられている。なお、イランという名称もアヴェスターから引用したもので、それまでペルシアと称していた国号を、1935年にパフレヴィー朝が国号として採用したものである。アヴェスター聖典の成立
ゾロアスター教(ゾロアストラ教)関連の文献は、アヴェスターとその後継文学である中世ペルシア語(パフラヴィー語)に大別できる。アヴェスターは古代語の原型はアヴィスタークであったようだが、その語義は現在は「深遠なるもの、玄典という意味」と考えられている。また、アヴェスターはゾロアスターが直接筆記したものではなく、弟子が書き留めたものがあったが、それも前330年にアレクサンドロス大王によってペルセポリスの王宮が焼かれたとき、失われたという。その後は口承で伝えられていたが、4~5世紀のササン朝時代にゾロアスター教が国教とされたことにより、アヴェスター文字が創案されて編纂が進み、21巻にまとめられたが、その4分の3は散逸してしまった。また次第にアヴェスター語そのものも忘れ去られ、その解釈は困難になった。現存するアヴェスターは大きく分けて、ヤスナ(祭儀に読誦される神事書)、ヤシュト(神々への讃歌)、ウィーデーウ・ダート(除魔の書)の三つの部分からなる。そのなかではヤスナとヤシュトが重要で善悪二神の理念などが述べられている。ゾロアスターの思想が直接述べられている部分はヤスナの一部で、その部分を特に「ガーサー」といい、17の章からなる詩文で構成されている。
このガーサー・アヴェスターの述作者は誰か。『アヴェスター』の日本語訳に取り組んだ伊藤義教氏は「ちゅうちょなく、それはゾロアストラである」(53章を除き)と答えている。ガーサーではゾロアスターはしばしば第一人称で登場、みずからをザオタル(zaotar)といっている。
ガーサーにみられる主神はアフラ・マズダ(単にアフラまたはマズダと言われることも多い)であり、陪神としてスタンプ・マンユ(聖霊)、ウォフ・マナフ(善思)、アールマティ(随心)があり、しばしば混淆している。
なお、アヴェスターには中世ペルシア語への訳注である『ザンド』(ゼンド)がある。また、ゾロアスター教の宇宙論である『ブンダヒシュン』、その百科辞書である『デーンカルト』がある。アヴェスターを理解するには、これらの関連文献を読み解かなければならず、困難な課題だった。アヴェスターの全訳がヨーロッパで刊行されたのは19世紀の末であり、日本では1960年代に京都大学の伊藤義教氏の翻訳が刊行され、現在はその抄訳がちくま学芸文庫版で読むことができる。<伊藤義教訳『アヴェスター』1967 ちくま学芸文庫版 2012/前田耕作『宗祖ゾロアスター』1997 ちくま学芸文庫版>
ササン朝でのアヴェスター編纂
ササン朝ペルシアでのアヴェスター編纂は次のような過程で行われた。- アルデシール1世(在位224~240) 祭司長サンタールを宗教的権威とし、散佚したすべての教えを宮廷に集め、アルサケス朝の事業の完成を命じた。
- シャープール1世(在位240~272) ギリシア人とインド人によって散佚した部分を求め、それらをアヴェスターに復元させた。
- シャープール2世(在位309~379) アートゥルハートの協力を得て、正典の規範を訂正し、正典としての権威を付与した。
- ホスロー1世(在位531~579) パフラヴィー語訳の改訂が行われた。