ハスモン朝
マカベア戦争でセレウコス朝から独立したパレスチナのユダヤ人国家。前166年、マカベア戦争で独立、前1世紀初めにパレスチナ一帯を支配して栄えたが、内紛によって衰退、ローマの支援を受けたヘロデによって前37年に滅ぼされた。
セレウコス朝から独立したユダヤ人国家
ユダヤ人の国家であるパレスチナのユダ王国はバビロン捕囚後に復活し、存続していたものの、ヘレニズム時代にはセレウコス朝シリアの支配を受けていた。それでも前2世紀になると、セレウコス朝の衰退に伴い、次第に自立の動きをみせるようになった。前166年に、ユダス=マカバイオスが指導して始まったユダヤ人の独立戦争であるマカベア戦争は、長期にわたる戦いによって、前142年にユダスの弟シモンの時に自治が認められ、事実上の独立国家となった。これをハスモン朝と言い、はじまりを前166年においている。
ユダ王国ハスモン朝のユダヤ国家(ハスモン王国とも言う)は、アレクサンドロス=ヤンナイオス(在位前103-76)のときにかつてのヘブライ王国のダヴィデやソロモンの支配領域を回復したが、その後内紛が続き、ローマの介入を受けることとなる。
ローマによる支配
前63年には、ローマのポンペイウスによってイェルサレムが占領され、神殿は破壊されて、ハスモン家の支配者の王位は剥奪され大祭司を名乗ることだけが許されて事実上滅亡し、ローマから派遣されるシリア総督の支配を受けることとなった。その後もハスモン家の反ローマ活動によって不安定な状況が続いたので、ローマ元老院は前40年に親ローマ派のイドマヤ人ヘロデをユダヤ人の王として認め、ヘロデ王はローマの力を背景に全パレスチナの支配を目指し、前37年に最後のハスモン王家の当主を殺した。これによってハスモン朝は完全な終焉を迎えた。 → ローマ時代のパレスチナこのヘロデ朝とも言われる時代の末期、前4年にイエスが生まれる。