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聖山事件

前494年、古代ローマで貴族支配に対する平民の身分闘争の契機となった事件。

 ローマにおける、貴族と平民の身分闘争の発端となった事件。前494年、ローマの他の都市国家との戦争にかり出されて土地を失い、債務に苦しむ平民(プレブス)が、借金の棒引き・土地の再分配・平民の代表の政治への参加を要求し、ローマの東北約5キロ離れた聖山にたてこもった。ローマにおける、最初の平民(プレブス)の市外退去事件であった。

貴族と平民の身分闘争

 当時北方からの異民族の侵入に悩んでいたローマ元老院(貴族から選ばれた終身議員からなる最高諮問会議)が折れて、平民の要求を呑み、借金は棒引き、債務奴隷は解放、さらにローマの民会のひとつであった平民会から毎年、二人の護民官を選出することを認めた。これを聖山事件といい、身分闘争での平民の勝利の第一歩であったとされている。聖山闘争とも言う。
 なお、平民が抗議の意味を込めてローマ市外に一斉に退去するという事件は、前287年にも起こっている。これは、ローマがイタリア半島統一戦争を続けた結果、新たに土地を得た有力者が出現し、貧富の差が広がったことに対して、プレブスがローマを退去してヤニクルスの丘に立てこもった事件で、その事態を打開するためにプレブスのホルテンシウスが独裁官に任命され、ホルテンシウス法を制定した。この後、平民はさらに発言権を強め貴族(パトリキ)と対等な権利を獲得し、前3世紀にはローマ共和政を完成させることとなる。
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