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身分闘争

前5~前3世紀初めに展開した都市国家ローマでの貴族と平民の抗争。重装歩兵としてローマの発展をになった平民が次第に権利を拡張させた。

 前5世紀から前3世紀初めにかけて、都市国家ローマで展開された、貴族(パトリキ)平民(プレブス)の身分をめぐる闘争。貴族(パトリキ)と平民(プレブス)の身分的な違いははじめの頃は明確ではなかったが、紀元前5世紀初めまでにいわゆる「パトリキの封鎖」がおこなわれ、貴族と平民の結婚ができなくなり、貴族が政治と祭事を独占する体制ができあがった。これによって、特定の家柄のものだけが貴族(パトリキ)としての特権を持ち、他のものは豊かであっても貧民であっても平民(プレブス)として固定化されることになった。

身分固定化に対する平民の不満

 それに対して平民は団結し、前494年聖山事件をおこした。貴族も対外戦争を進める上で、平民に譲歩する必要があり、民会の一つとして平民だけで構成する平民会を設置し、その議長として護民官を設けることを認めた。護民官には他の民会や元老院の決議に対する拒否権を与えた。

平民による共和政の成立

 それ以後、次第に平民の権利を認めるようにになり、前451年に最初の成文法である十二表法によって法が平民にも公開され、前445年のカヌレイウス法によって両者の通婚も認められるようになった。前367年にはリキニウス=セクスティウス法の制定によってコンスルの一人は平民から選出されることとなり、貴族の公有地占有が制限されるなど、貴族と平民の一応の平等がはかられ、これによって身分闘争は終結を見た。
 さらに、前287年のホルテンシウス法の制定で平民会の決議が国法と認められることになって決着をみ、国制上も両者の関係は対等となり、ローマ共和政は完成したと言うことができる。
平民が重装歩兵として活躍 この平民の権利獲得の背景には、都市国家ローマが膨張し、イタリア半島を統一する半島統一戦争が進む中で、平民が重装歩兵として戦争に参加し、それによって都市国家ローマの勝利が続いたことが大きかった。

新貴族の登場

 すると、平民出身で貴族と並んでコンスルなどの高位に就いたものは元老院議員として世襲的な特権を持つようになり、新貴族(ノビレス)と言われるようになる。さらにポエニ戦争などによって海外領土を獲得して大国となっていく。
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