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プレブス/平民

古代ローマにおける市民層の中層を占める平民階級。貴族(パトリキ)が政権を独占していたのに対し、身分闘争を展開、前4世紀中頃に身分的な平等を獲得した。

 プレブス plebs とはローマ共和政時代に中小農民や商工業者としてローマの一般市民層を構成した人びと。都市国家ローマには民会があって法的には平民も参加できたが、実質的な参政権はなく、コンスルなどの高官や、元老院議員は世襲の貴族(パトリキ)が握っていた。貴族と平民の通婚は禁止されており、身分が固定されていた。
※教科書、用語集、一般的な書籍では、プレブスというのが普通だが、プレプスという表記も見られる。1997年刊の中央公論社版世界の歴史『ギリシアとローマ』や、同年の山川出版社の世界史リブレット『古代ローマの市民社会』などの概説書が「プレプス」としている。まだ一般的ではなさそうだ。

身分闘争を展開

 しかし、ローマが外敵から都市を防衛したり、さらに半島統一戦争を戦っていく過程で、平民は重装歩兵としてその武力の中心となり、次第に発言権を増していった。しかし同時に、平民の中の経済的格差が広がり、負債に苦しむ平民も現れるようになった。
 平民は前5世紀ごろから政治的な平等と困窮からの救済を求めて、貴族の政権に対して身分闘争を展開するようになった。貴族も重装歩兵として平民の力も必要であったことから妥協せざるを得なくなった。
 まず前494年に平民はローマを離れて聖山に立てこもるという聖山事件を行い平民会護民官の設置を認めさせた。前445年のカヌレイウス法によって認められるようになった。前367年にはリキニウス・セクスティウス法を制定させコンスルの一人を平民から選出することを認めさせて貴族との身分の平等化と経済的没落の防止の措置を実現させた。前287年のホルテンシウス法で平民会の決議が元老院の承認が無くとも国法とされることになってローマ共和政は完成した。

新貴族の台頭

 平民は貴族との身分的な平等を実現させコンスルや元老院議員となるものも現れたが、それが可能であったのは一定の財産のあるものであり、彼らブレブス上層の者は結局、特権的な階層を形成するようになり、新貴族(ノビレス)と言われるようになった。共和政末期はこのような「ノビレスの支配」が続くこととなり、共和政・民主政治は次第に後退、形骸化していった。

中小農民の没落

 この間のポエニ戦争などのローマの海外発展、地中海制覇の軍事力は基本的には平民による伝統の重装歩兵であった。しかし、前1世紀の「内乱の1世紀」を経てローマ帝国が形成されるなかで、戦争の長期化と海外からの安価な農作物の流入が中小農民の没落をもたらす結果となり、ローマ社会は大きく変貌することとなる。