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モエンジョ=ダーロ

インダス川中流にあるインダス文明の代表的な都市遺跡。煉瓦づくりの大浴場などの公共建築と多数の住居と共に、街路や下水道網が整備された高度な文明の存在が明らかになっている。

 インダス川中流西岸のシンド地方にある、インダス文明の代表的遺跡。モヘンジョ=ダロとも表記するが、「死者の丘」を意味している。インダス流域は現在はパキスタンの領土となっているが、広い意味でインド(近代前)の歴史の出発点となる都市遺跡である。
 1922年、インダス川河岸丘陵から何層にも重なった都市遺跡が発掘され、周囲約9.6kmに及ぶ広大な円形の地域に、家屋・直線的な街路・大浴場などの公共施設と思われる建造物が並んでいることがわかった。家屋は焼煉瓦で造られ、それぞれに便所、浴場、井戸を備えていた。年代は紀元前2300年~前1800年頃の遺跡と考えられている。モエンジョ=ダーロは、文明の指標としての都市の例であり、彩文土器と青銅器が出土しており、鉄器は見つかっていないが金属器は使用されていた。
 また印章には文字が刻まれており、インダス文字と言われている。文字を持つ文明段階に入っていることも判明しているが、まだ解読には至っていない。
 インダス文明は前19世紀ごろに急速に衰えて姿を消すが、その原因はまだわかっていない。モエンジョ=ダロの都市は、インダス川の大洪水のために地下に埋もれてしまったのではないか、と考えられている。
注意 モエンジョ=ダーロの位置 インダス文明の重要な遺跡なので、単純に考えてインドにあると思うと、それは誤り。インダス文明の展開したインダス川流域は、現在はほとんどパキスタン領となっており、このモエンジョ=ダーロと並ぶもう一つの重要遺跡、インダス川上流のパンジャーブ地方にあるハラッパーとともにパキスタン領に含まれている。インドはモエンジョダーロとハラッパがパキスタン領なので、インダス文明の本家の地位を奪われた気分になっていたらしいが、最近、インド側でもインダス文明に入るドーラーヴィーラーロータル遺跡が発見されたので胸をなで下ろしている。 → モエンジョ=ダロの位置

モエンジョ=ダーロの大浴場

 モエンジョ=ダーロ遺跡の中央にある大浴場は、煉瓦を張った長さ約12m、幅約7m、深さ約2.4mのプール状の遺構で、現代のヒンドゥー教で行われている宗教的な沐浴の場であったらしい。とすれば、インダス文明の段階ですでにヒンドゥー教につながる原始信仰があったことになるが、ヒンドゥー教の祭壇にあたるような宗教施設は見つかっていないので、確定的なことは言えない。

Episode 危機にあるモエンジョ=ダーロ遺跡

 1922年に発掘されたとき、煉瓦や土器が数千年の時を経て残されているのが発見され、人々を驚かせた。しかし、遺跡は一度空気にさらされるや、二度目の”死”に向かい始めた。主たる原因は地中の塩分濃度である。灌漑用水路により水面が上昇したことが塩分過多の一因となった。モヘンジョ=ダーロ救済のための国際的運動が現在、パキスタン政府とユネスコの共同で始まっている。<NHK 世界四大文明『インダス文明展』図録による>

世界遺産 モエンジョ=ダーロ遺跡

 パキスタン、シンド州ラニプールにある。城郭の中心部には大浴場や倉庫、集会所であったと思われる大建築が並び、周辺には整然とレンガを積み重ねた街路や下水道が張り巡らされた住宅が密集している。インダス文明の代表的な都市遺跡として、1980年に世界遺産に登録された。

大浴場跡

城郭の中心部


トリップアドバイザー提供


※ユネスコ 世界遺産リスト モヘンジョ=ダーロの遺跡群

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