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グプタ朝

4~6世紀、インドを統一支配した王朝。都はパータリプトラ。インド独自のグプタ様式の文化が発達し、仏教が最も栄えた一方、ヒンドゥー教も民衆に浸透した。

グプタ朝地図
4~6世紀 グプタ朝の統治範囲
 マウリヤ朝滅亡(前180年)以来、インドは約500年の分裂状態が続いたが、4世紀に入り、マウリヤ朝と同じマガダを拠点としたグプタ朝が起こった。その創始者もマウリヤ朝と同じ、チャンドラグプタ(1世)を名乗っている。都も同じパータリプトラチャンドラグプタ1世320年ガンジス川流域を統一、第二代のサンドラグプタは北インドをほぼ統一し、デカン高原にも遠征した。サンドラグプタの遠征はインド亜大陸の南端に及んだが、諸国を併合することはなく、帰順と貢納を求めるにとどめ、従属地域とした。
 その後、4世紀末~5世紀はじめのチャンドラグプタ2世(在位376年~414年)の時には、かつてのアショーカ王の支配領域と同じ広さを支配し、全盛期を迎えた。5世紀後半から西北部をエフタルに侵され、6世紀にはビハールとベンガル北部だけを支配するのみとなって、その中頃に滅亡した。

グプタ様式の文化

 安定したグプタ朝の支配のもと、インド文化の黄金時代を迎え、仏教の繁栄とともにバラモン教の復興、ヒンドゥー教の発展が見られた。宮廷ではサンスクリット語が公用語とされ、全盛期であるチャンドラグプタ2世の宮廷ではカーリダーサがサンスクリット語で戯曲『シャクンタラー』を著すなど、サンスクリット文学が盛んになった。美術の面ではアジャンターの仏教美術が開花し、それまでのヘレニズムの影響から脱した、インドの独自性を強く持つようになった。この美術様式をグプタ様式と言っている。この時期はインド文明にとっても大きな転換期であったといえる。

Episode 古代インドの帝王の祀り、馬詞祭

 古代インドの帝王は、その権威を内外に宣布する一風変わった儀式を行っていた。それは馬詞祭(アシュヴァメーダ)と言われるもので、馬(アシュヴァ)を犠牲(メーダ)として神に捧げる祭祀である。帝王となるものは、まず一頭の優れた馬を選び、祓いの儀式の後に手綱を解いて自由にしてやる。自由になった馬の後に、帝王は軍隊を率いてついていく。馬が他国の領土に入り、その地の王がそれを受け入れれば、帝王に従うことを意味し、侵入者を認めなければ戦いになる。こうして一年間、馬を放浪させ、帝王が勝利のうちに帰還できれば盛大な祭りを行い、その馬を犠牲として神に捧げ、「諸王の王」つまり帝王と認められる。グプタ朝の第二代サンドラグプタ王は、この馬詞祭を成功させ、自ら造らせた碑文や貨幣に「アシュヴァメーダの執行者」と書かせてそれを誇った。<近藤治『インドの歴史』新書東洋史6 講談社現代新書 1977 p.62>
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書籍案内

近藤治
『インドの歴史』
1977 講談社現代新書