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ジャイナ教

前6~5世紀、仏教と同じころ生まれたインドの新宗教。ヴァルダマーナを始祖とし、徹底した不殺生を説く。現在もかなりの信者が存在する。ジナ教ともいう。

 古代のインドでにおいて、ブッダ仏教を創始したのと同時代に、ヴァルダマーナ(マハーヴィーラ)が始めた宗教。ヴァルダマーナは、バラモン教の司祭たちの権威主義、形式主義を批判し、またカースト制度も否定した点では仏教に共通する。
 ジャイナ教では精神と物質の二元論にたち、宇宙は生命と非生命から成り、生命は上昇性があって一切知であり幸福であるが、非生命は下降性をもち業の力で周囲に付着して輪廻の原因をつくるという。人間が輪廻を解脱するには、正しい生活を送り、苦行によって業を消し去ることが必要であると説く。苦行を否定しないところは仏教と異なる。また生き物を殺すことは厳しく禁止され(不殺生戒)、信者は殺生を避けるために生産活動から離れ、商業に従事することが多かった。

ジャイナ教の特色

 「ジャイナ教」とは「ジナ(勝利者)の教え」という意味であるが、その勝利とは煩悩にうち勝つことで、戦場で敵に打ち勝つことよりも難しい。開祖ヴァルダマーナはマハーヴィーラとも言われるが、それは「偉大な雄者」の意味で、煩悩にうち勝った真の勝者とされた。彼は現世を業(ごう)に束縛された悲惨な状態とみて、そこから脱して永遠の寂静・至福の状態に達するには極度の苦行を実践して霊魂を清めることが必要であると教えた。仏教徒は似ており、姉妹宗教とも見なされるが、異なっている点も多い。最も異なる点は「苦行」と「不殺生」である。
(引用)初期のジャイナ教の行者は無所有の戒律を厳守した。いっさいの所有を否定した結果は、衣類を身につけることも禁じることになる。彼らは真っ裸で暮らしていた。そして、現代もなおそうした行者が山奥にいて尊敬されているということをきいいて、わたくしは半信半疑でいたが、1956年にデリーでひらかれたジャイナ教徒の大会において、現実にそれを目撃することができた。会場では、裸の行者が坐って司会をしていた。そして、立ち上がって去るところを見ると、真っ裸で、ただ手に払子(ほっす)をもっているだけであった。<中村元『古代インド』初刊1977 講談社刊世界の歴史5 ガンジスの文明 2004 講談社学術文庫 p.115-116>

現在のジャイナ教

 ジャイナ教は、農業や畜産業は不殺生の戒を破ることになるので、商業に従事するものが多かった。現在でもインドに約400万人の信者がいるが、商人と金融業者に多く、コルカタ(カルカッタ)のジャイナ教寺院は富裕な信者の寄進で豪壮な建物となっている。

Episode マスクをするジャイナ教の修行者

 ジャイナ教は徹底した不殺生を教義としているので、その修行者は、虫も殺すことが出来ず、気づかすに殺生をするおそれがあるのでマスクをし、歩くときは虫を踏みつぶさないように箒で前を払いながら進む。不殺生を徹底して守れば死んでしまうが、それも最も重要な修行とされた。またジャイナ教が商人や金融業者に多いのは、彼らは不殺生戒を守っているので農業や牧畜を嫌ったからである。それも行商などに出ると荷車で無視をひき殺してしまう恐れがあるので、出歩かなくてもよい小売商や金融業を営んだ。

不殺生の思想

 不殺生の教えは特にジャイナ教の始祖ヴァルダマーナ(マハーヴィーラ)が厳しく教えたことであるが、仏教やヒンドゥー教にも影響を与えた。4世紀ごろからバラモン教の儀式中心の形式主義を批判して、宗教としての体形を整えたヒンドゥー教においても、不殺生(アヒンサー)は重要な教えとして位置づけられ、特に『バガヴァッド=ギーター』での不殺生の教えは、後のガンディーサティヤーグラハの思想に強く影響を与えている。