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チャンドラグプタ2世

4~5世紀のインドのグプタ朝全盛期の王。インド亜大陸の最南端部を除きほぼ全土におよぶグプタ朝最大領域を支配。その宮廷ではグプタ様式のインド文化が開花した。中国僧法顕が訪れ、超日王として伝えている。

 インドのグプタ朝の王。在位376年~414年ごろ。チャンドラグプタ1世の孫。父のサムドラグプタは北はヒマラヤ山麓から南は現在のチェンナイ(マドラス)南西のカーンチープラムに及び、東部ではアッサム、ベンガル、西部ではグジャラート、パンジャブを含み、マウリヤ朝時代以来、500年をへて北インドを再び統一した。  チャンドラグプタ2世はさらに西方に領地を広げ、北西部のサカ族を滅ぼして併合し、その領土はアラビア海に達した。デカン高原では、かつて栄えていたサータヴァーハナ朝にかわって3世紀後半にヴァーカータカ朝が有力になっていたが、チャンドラグプタ2世は娘をその王ルドラセーナ2世に嫁がせ、他のデカンの有力者とも婚姻関係を結んでいる。こうしてチャンドラグプタ2世の時に、グプタ朝は全盛期を迎えた。中国では超日王という名で知られる。

グプタ様式のインド文化が開花

 チャンドラグプタ2世の時、パータリプトラの宮廷では、サンスクリット文学が栄え、カーリダーサなどが活躍、中国から仏典を求めて訪れた法顕が滞在している。また、文芸のみならず、天文学、数学などの学問も保護し、イスラーム以前のインド文化の最も華やかな時代であるグプタ様式の文化が開花した。

その後のグプタ朝

 グプタ朝は、チャンドラグプタ2世の後、クマーラグップタ、スカンダグプタなどが統治を行ったが、その時期の5世紀中葉には中央アジアからバクトリアに移動してきたフーナ(エフタル)がインドに侵攻し始め、次第に圧迫されていった。その後は直轄領のマガダ地方で小さな勢力として存続するだけとなり、6世紀の中頃に滅亡する。
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