印刷 | 通常画面に戻る |

曹丕/文帝

三国時代の曹操の子。220年、漢の献帝から禅定を受け、魏の初代皇帝、文帝となる。九品中正制を実施し、人材登用を図るも、魏はその子の代に滅んだ。

 三国時代の初代皇帝の文帝(在位220~226年)。はじめ、父の曹操の後をついて魏王となり、220年に漢の献帝に譲位を迫り、禅譲という形式で帝位について魏王朝を建てた。これによって後漢の滅亡した。そのとき、漢の郷挙里選に代わり、新しい官吏登用法として九品中正制を採用した。彼は文人としても知られ、『典論』という著作もある(一部しか残っていない)。

Episode 弟への嫉妬「七歩の詩」

(引用)曹操の一家父子はいずれも文才があった。ということは、個性が強いことを意味する。曹操は末子の曹植(そうち。一般にはそうしょく)を愛して、長子の曹丕を疎んじ、あわや廃嫡に及ぼうとしたことさえあった。そこで曹丕が父の死後たって天子となると、その報復として弟いじめがはじまった。
 曹植に有名な七歩の詩というのがある。曹丕が弟にむかい、父にかわいがられたほどの文才がほんとうにあるなら、今この目の前で、七歩あるく間に詩を一首つくってみせよ、という。声に応じて曹植が歩き出しながら、
 煮豆然豆箕 豆を煮るに豆がらを燃やす
 豆在釜中泣 豆は釜中にあって泣く
 本是同根生 もとこれ同根より生ず
 相煎何太急 相煎るなんぞはなはだ急なる
とあるのは、兄に迫られた窮状を吐露したものである。<宮崎市定『大唐帝国』中公文庫 p.105>

清流派官僚の抵抗

 曹操の死のわずか九ヶ月のち、父のこだわりや屈折と無縁な息子の曹丕は、禅譲の儀式により、あっさりと献帝を退位させて後漢王朝を滅ぼし、魏王朝を創設した。この曹丕の即位を、後漢王朝擁護の伝統をもつ清流派が、もろ手を挙げて歓迎するわけがない。こんなエピソードがある。
(引用)曹丕が即位したとき、曹操政権の重鎮で、官吏登用法「九品官人法」の制定者として知られる陳羣(ちんぐん)は、次のような反応を示したという。
 魏の文帝(曹丕)が後漢王朝から禅譲を受けたとき、陳羣は悲しげな顔つきをしていた。文帝はたずねた。「朕は天命にこたえて天子となったのに、なぜおまえは楽しそうでないのか」。陳羣は答えた。「私は華歆(かきん)とともに先王朝(後漢王朝)にお仕えしておりました。いま、すぐれた天子の御代をうれしく思っておりますものの、やはり(先王朝への)忠義の心が顔に出てしまうのです」。(『世説新語』方正篇)<井波律子『三国志曼荼羅』2007 岩波現代新書 p.61-62>
 陳羣の祖父の陳寔(ちんしょく)は後漢末の二度にわたる党錮の禁の弾圧にも屈せず、宦官に反対した清流派官人の鏡とされる人物だった。陳羣は曹操の傘下に入り制度や法の専門家としてその政権を支えていた。曹操はいつでも天子になれる実力を持ちながら、ついに清流派官人の正論を無視できず即位しなかったものを、息子曹丕がやすやすと後漢の皇帝を退位させ、自ら即位したことには、不快感を持っていたのだ。やがて、彼らのような清流派官人の支持は、曹家の皇帝ではなく、同じ清流派官人の系譜をひく司馬氏一門(司馬懿―司馬師―司馬昭―司馬炎)に移っていく。 → の項を参照。

文学史上の曹操・曹丕・曹植

 曹操とその子供たち、曹丕と曹植の三人は、政権簒奪者として登場するだけでなく、中国の文学史でも重要な存在である。曹操は、漢代の正統文学である賦(長文の美文が良いとされた)に代わって、民間で謡いつがれてきた楽府(がふ)を好み、新しいスタイルである五言詩をつくった。彼のもとには多くの文人が集まり、文学サロンを形成した。その文学は当時の後漢の年号から「建安文学」と言われた。
 曹丕と曹植も建安文学の中で育ち、ともに文学的才能を発揮した。曹丕は、内容的には民衆歌謡である楽府の域を出なかったが、当時としては珍しい七言の詩を創作し、七言詩の先駆者となった。またその『典論』は一部しか伝わっていないが、中国最古の文学理論の書であり、文学史上重要である。
 曹丕の弟の曹植が三人の中では最も優れており、「唐代以前の最大の詩人」ということができる。政治的には不遇であった曹植だが、父の曹操のパトス(心情)と兄の曹丕の方法論を兼ね備え、緊張感のあふれた独自の詩的世界を作り上げた。また曹丕の夫人で曹丕が皇帝となったことで皇后となった甄(しん)夫人は、即位の翌年に謎の自殺を遂げているが、彼女は曹植に恋していたため、嫉妬した曹丕に殺されたという噂もあった。
 以上、ここでは彼らの詩の具体的に紹介することはできないので、漢詩に興味のある人は<井波律子『三国志曼荼羅』2007 岩波現代文庫 p.71-90 「三国時代の詩人たち」>を参照して下さい。
印 刷
印刷画面へ
書籍案内

宮崎市定
『大唐帝国―中国の中世』
1968初刊 1988中公文庫

魏晋南北朝の記述が3分の2を占める。史話満載。


井波律子
『三国志曼荼羅』
2007 岩波現代文庫