神仙思想/神仙説
中国古来の神仙を信仰し、不老不死などを願う思想。神仙説。
神仙思想は紀元前3世紀頃から、中国の山東半島を中心に広がったもので原始的な宗教であるアニミズムの一種と考えられる。不老不死の神仙(仙人)が実在するとし、人間が神仙になることを信じている。4世紀に晋の葛洪(かっこう)が著した『抱朴子』では、不老不死になるためには修行によって生を養う養生術と、丹(または金丹)という薬をつくってて服用するという錬丹術がある、としている。神仙思想は後に道教に取り入れられ、民間に広がる。
Episode 不老不死を願った始皇帝、徐福を日本に派遣?
山東半島のはるか東の海中に蓬莱山などの神仙境があり、そこには不老不死の仙薬があると信じられていた。秦の始皇帝も不老不死を願って仙薬を求め、徐福を蓬莱山に派遣した。徐福は数千人の童男童女をつれて、蓬莱山に向かったという。この徐福の目指した蓬莱山とは日本のことで、徐福が日本に来たという伝説が残っている。丹後半島の東南海岸(京都府)にある新井崎神社は、この徐福を祀る神社だという。<福永光司他、『日本の道教遺跡を歩く』1987 朝日選書 p.94>道教の源流
(引用)道教の源流を古代に求めるにあたり、老子を中心とする黄老家や道家とともに欠かせないものが、神仙説である。神仙説は、はるか東海の彼方にある蓬莱山や西方の果てにある崑崙山に僊人(仙人)や羽人なるものが存在するという伝説に由来する。これらは人間界と別な特殊な世界の生き物とされ、飛昇、不死などの属性をもつものと考えられた。それが医学や方術の発展とともに、人間もしかるべき方法論に従い努力を積めば成りうるものとされるようになり、これを愛好した漢の武帝のころには大変流行し、それを吹聴する方士たちが世にはびこった。横手裕『中国道教の展開』2008 世界史リブレット96 山川出版社 p.17神仙説にはどのような術(方技)があったか、『漢書』芸文志の「方技略」(略は境界・区分の意味)のなかに「神僊」の段には、身体の屈伸運動・呼吸法などを採り入れた養生長生法である「導引」(1973年に馬王堆前漢墓から出土した「導引図」にはその具体的な方法が図解されている)、「按摩」、神仙の蝕する神秘的な植物とされたキノコの服用法を説いた「芝菌」、錬金術から転じて不老不死の丹薬を錬成する錬丹術を教える「黄冶」、などが伝えられている。「神僊」の他には医学や鍼灸にかかわる「医経」、薬草の知識である本草学にかかわる「経方」などがあり、いわゆる漢方医学と関係が深いことが分かる。 また漢書に書かれている神仙術以外にも、様々な呼吸法によって穀物を断ち天の清らかな気のみを吸引することで長生が可能になり、身体が軽くなって最後には地から浮上して天へ昇ることができる(人は昔から空中浮遊することを求めていた)、という教えや、腹の中の「五臓」にいる神をイメージすることで飢えること無く不死になるという教えなどがあった。
Episode 旅行の神のステップ
また、「禹歩」の術と言う鬼神を避け悪霊から身を守る方法もあった。「三皇五帝」の一人である禹は治水の功績で舜から帝位を譲られ夏王朝を創始した人で、中国全土を歩きまわったため足を痛め、片足を引きずって歩くようになったという。そのため禹は旅行の神さまとされ、禹と同じように後ろ足を前足の前に出さない歩行法には呪術的な意味づけがおこなわれ、出立前にこのステップを踏むことで旅行中に鬼神の加護が加えられるとされるようになった。その後も悪霊から身を守るためや、病気治療のため、何よりも鬼神を招き寄せ使役するための方法として、道教ではなにかとこの「禹歩」がおこなわれている。横手裕『同上書』 p.21-22