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回教/清真教

唐以来の中国においてイスラーム教を回教、イスラーム教徒を回族といった。現在では清真教といっている。

 かいきょう。中国ではイスラーム教のことを回回教(フイフイ教)、その略称で回教(かいきょう)と言った。中国ではトルコ系の民族であるウイグル人のことを回鶻(かいこつ)と表記したが、ウイグル人がイスラーム教徒であったために、西域のイスラーム教徒を回族といい、その宗教を回教と言うようになった、と説明されることが多い。
注意 ウイグル人説の誤り しかし、イスラーム教を回教という理由をウイグル人と結びつけるのは誤解であるという指摘がある。
(引用)巷間には、回教とは「回鶻=回回=ウイグル」民族の伝えた宗教であるという完全なウソがいまだにまかり通っているが、本来「回鶻=ウィグル」と回回はまったく別物であり、唐代の「回鶻=ウイグル」人はシャーマニズムを信じている段階からいきなりマニ教に改宗していったのであり、仏教徒が増えていくのは10世紀後半以降、イスラム教徒になるのはモンゴル帝国崩壊後の15世紀以降のことに過ぎない。<森安孝夫『シルクロードと唐帝国』2007初刊 2016 講談社学術文庫 p.68>

中国のイスラーム教徒

 イスラーム教を回教というのは、日本でもかつては一般的であったが、現在はあまり用いられておらず、中国では「清真教」と言うことが多い。その寺院(モスク)のことを清真寺という。
 唐代には海路、広州揚州などにアラビア商人(ムスリム商人)が来航し、蕃坊といわれる居住区に墨付き、彼らは大食(タージー)と言われていた。彼らを通じてこれらの港市にもイスラーム教がひろがっていた。
 現在の中国にも北西部の新疆ウイグル自治区のみならず、北京市内などにもイスラーム教徒は多く、清真寺やイスラーム料理店が多数存在している。また中国史の中でもイスラーム教徒で活躍した人物も多く、その代表例が明の永楽帝の時の鄭和である。
 なお、現在の中華人民共和国で、寧夏回族自治区という自治区があるが、この回族とは特定の民族と云うより、イスラーム教徒の集団を云う。新疆ウイグル自治区のウイグル人は、独自の言語を維持しているのに対して、寧夏回族自治区の回族は独自の言語や文字を持たず漢人と同化してしまったが、イスラーム教の信仰だけは守っているという人々を指している。 → 中国の少数民族
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