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征服王朝

中国を支配し、独自の統治様式を維持した北方遊牧民の王朝。遼、金、元、清がそれにあたる。

 中国史上に現れる、北方の非漢民族による中国統治様式。騎馬遊牧民である北方民族が、広大な中国の本土の農耕地帯を征服し支配するさいに、北方の本拠地を抛棄するのではなく保ちながら中国を支配し、北方民族には独自の方式を適用し、漢民族には従来の方式を残して双方の統治方式を並立、または両用した王朝を征服王朝という。
 ウィットフォーゲル(アメリカの歴史学者)が「征服王朝」と名付け、その最初が(契丹=キタイ帝国)である、とした。契丹の遼と女真族の王朝は二重統治体制をとった王朝である。その後もモンゴル人の王朝、女真族の王朝も征服王朝とされる。
北魏は該当しない ただし、それ以前に華北を支配した北方民族があったが、鮮卑族の建てた「北魏」は、都も平城から洛陽に移り、孝文帝以降に漢化政策がとられ、ほぼ完全に漢化したので、征服王朝には加えない。南北朝時代の北朝の各王朝も同様であり、隋・唐も皇帝の血統は遊牧民系だが完全に漢文化に同化した王朝であった。
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