交子
中国の宋(北宋)で使用された世界最初の紙幣。はじめは四川地方の商人組合が発行していたが、11世紀はじめから政府が発行するようになった。南宋では会子といわれた。銅銭である宋銭の不足を補うもので、宋代の商工業の発達の現れであった。
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四川地方で始まった交子
宋代には多量の銅銭が鋳造されたが、それでも経済の発展に追いつかず、不足した。その不足を補うために四川地方では鉄銭を鋳造した。鉄は銅より安いので、鉄銭10枚が銅銭1枚に相当した。四川では薄絹1匹を買うのに、130斤の重さの鉄銭が必要だった。重い鉄銭を多数持ち歩かなければならない不便さを解消しようとして、成都の16軒の富裕な商人たちが組合(当時の中国での行)を作って交子という紙幣を発行した。交子は銅の原板で家や樹木、人物などを縦16cm、横9cmの紙に印刷して発行した。交子の発行を認められた商人は交子舗といわれ、その特権を認められる替わりに一定の負担(行役という)を負った。<『中国中学校歴史教科書』p.455/周藤吉之・中嶋敏『五代と宋の興亡』講談社学術文庫 p.206,385,421>交子の法定紙幣化と濫発
交子は始め四川の商人たちが私的に使用したものであったが、1023年に宋朝政府は交子発行を官営で行うことを決定し、私的な発行を禁止した。当初は銅銭と引き替えに交子を交付し、流通期限も限定していたが、1030年代に西夏の李元昊が盛んに侵犯してくると、その軍費を捻出するために、宋朝政府は交子発行で財源を得ようとして、発行総額と額面単位を定めて法定紙幣として発行した。交子の信用は高く、流通量が不足したので、1072年には発行額を倍増させた。1093年以降は濫発が続き、さらに徽宗の時に兌換を停止したのでさらに価値が下落した。<周藤吉之・中嶋敏『五代と宋の興亡』講談社学術文庫 p.206>その後の中国の紙幣
中国での紙幣は宋の交子にはじまり、南宋で会子が発行され、南宋と同時期に女真が華北を支配した金では交鈔が発行された。交鈔はモンゴル人の立てた元でも継承された。特に元の交鈔は大量に発行された。明では宝鈔と言われるようになる。宋、金では銀と交換ができたが、元になると乱発されたため、銀と交換できない不換紙幣となり、インフレをもたらす。