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蘇州

江蘇省の中心都市で、南宋の時代の江南の開発で人口が急増。元代にはマルコ=ポーロもその繁栄を伝えている。明代からは絹織物産業の中心地として発展した。近代ではあらたに登場した上海にその地位を譲っているが、風光明媚な水の都として今も訪れる人が多い。

 長江の下流、江南地方の中心都市の一つで、古くは春秋時代に始まる呉国の都であり、呉王夫差やその臣下の伍子胥らが活躍、越王勾践(越は現在の紹興を拠点としていた)との争いの舞台となった。隋代に蘇州と言われるようになったが、この時代に大運河が建設され、蘇州を中心とした長江デルタと華北が直接結ばれるようになってから、その発展が明確になった。唐代には中央の官人にとっての憧れの地でもあったようで、白楽天も蘇州の風物をうたっている。 → その位置

江南の開発と蘇州

 10世紀の唐末から五代十国の争乱の時期にかけて、江南を支配したのは十国のひとつの呉越国であった。呉越国は地方政権として、住民に重税をかける一方、いわばインフラ整備に力を入れ、水路、海岸と共に都城の整備を進め、杭州や常州など共に蘇州も都市としての基盤ができた。また、呉越国は唐滅亡後の中国と日本の交易の窓口ともなった。
 宋(北宋)になると、呉越国時代の都城を基盤として城壁は増強され、何本もの道路が直交する都市となった。その様子は南宋の1229年に作られた巨大な石版に彫られた都市図「宋平江図」で見ることができる。市内には運河と共に上下水道が整備され、それは現在も「水の都」蘇州として姿を留めている。南宋の時代になると蘇州は首都臨安(杭州)に近かったこともあって、発展が続いた。
 南宋の時代には江南の開発が進み、水利事業によって水害から水田を守る囲田圩田が広がった。また占城稲が普及して二期作も行われるようになった。同時に、開発資力を要したことから農民層の分解が進み、大土地所有制が成立し、小農民はその水利に依存することが多くなった。いずれにせよ江南の開発が進んだことによって、蘇州をはじめとする江南の都市も急成長していった。この宋代の江南の穀物生産力の高さを示すことばが、「蘇湖熟すれば天下足る」というものであり、その蘇は蘇州(江蘇省の中心)のこと、湖は湖州(浙江省の中心)のことであった。

マルコ=ポーロの来訪

 元代にはマルコ=ポーロがこの地を訪れ、『東方見聞録』に詳しく報告している。マルコ=ポーロは蘇州は周囲60マイルに及び、6000もの石橋があり中には船が二艘並んで通れる大きな橋もある、と伝えている。もっとも彼は何かというと100万の単位で誇張するので「百万旦那」というあだ名がついており、また彼の挙げる数字は3の倍数が多いので、にわかに信用することはできない。しかし蘇州が学問や宗教には熱心な都市だという観察は誇張はなさそうだ。蘇州の近くの鎮江では、ネストリウス派のキリスト教会が二つあったことを記録している。実際の蘇州の人口は、当時は約50万ぐらいであったと推定される。50万でも当時では、超過密都市の一つだったと考えられる。<伊原弘『蘇州 水生都市の過去と現在』1993 講談社現代新書 p.118-123>

明代の蘇州

 明代になるとこの地域は絹・絹織物木綿の産地としてにわかに脚光を浴びることになった。蘇州での絹の生産は元代にはじまっていたが、木綿は明代から本格化した。絹は古来からの高級織物として海外にも輸出され、中国各地でも生産されていたが、蘇州の絹織物はひとつのブランド品として扱われた。明代にはさらに盛んとなり、周辺の江南の農家では、商品作物としての生糸の生産が発展した。こうして従来穀物生産が主であった蘇湖地方の耕地は、次々とカイコの餌とされる桑畑に代わっていった。綿は庶民の衣類として人口増加に伴って需要が増大したため、同じく水田は綿花畑に代わっていった。その結果、明代には穀物生産の中心は長江中流の湖広に遷り、「湖広熟すれば天下足る」といわれるようになった。
 15~16世紀の江南地方での絹織物と綿織物の産業の発展の裏面には、それを支えた農民の苛酷な労働があった。中国のこの時期の産業は資本の蓄積・技術の革新を伴わなかったため、家内制手工業の段階にとどまり、資本に乏しい農民はカイコなどの仕入れ代金の支払いに苦しみ、都市の大商人に搾取される状態が続いた。1606年には、明朝政府が課税を強めてきたので、反発した蘇州の絹商人や絹織物の織工たちが大規模な民変といわれる暴動を起こしている。
 近代に入ると、南京が開港場となり、さらに新たに上海が建設されると、経済の繁栄は南京、上海に移っていった。特に上海が国際都市として急速に発展したことによって、蘇州の経済力は奪われることとなり、かつてのような繁栄は失われた。しかし、大湖に面した風光明媚な「水の都」としての古都蘇州は、かえって古い時代の雰囲気を色濃く残し、多くの旅人を引きつけている。

世界遺産 蘇州の古典園林

 蘇州を中心とした江蘇省には、滄浪亭、獅子林、拙政園、留園という4大名園といわれる庭園がある。これらは16~18世紀に造られ、自然景観を縮景のかたちで再現しようとする中国の古典園林の典型としてまず、留園、拙政園、網獅園、環秀山荘が1997年に世界遺産に登録された。さらに2000年に滄浪亭、獅子林、芸圃、藕園、退思園が追加された。これらの庭園は、「その細心な設計のなかに、中国文化における自然美の深遠な形而上学的な重要性を表現している」とされている。 → ユネスコ世界遺産センター Classical Gardens of Suzhou
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書籍案内

伊原弘
『蘇州 水生都市の過去と現在』
1993 講談社現代新書