陶磁器
土器に釉薬をかけて焼いたもので中国でまず発達した。
素焼きの土器が発達して、釉薬(うわぐすり)を使って表面の光沢が出せるようになったのが陶磁器。陶器は素地に釉薬をかけて焼くもので、磁器は素地をさらに高熱で焼き、釉薬もガラス化させ、純白透明性のある表面をもつもの。唐では唐三彩という陶器が作られていたが、実用品ではなく主として副葬品として用いられていた。宋代になって白磁・青磁など磁器の技術も進み、江西省の景徳鎮を中心に陶磁器の生産(窯業)が盛んになって宋磁と言われる中国の陶磁器の全盛期となった。その背景には茶の流行があり、飲茶の風習の成立によって日常的な茶碗の需要が高まった。茶を飲むのに適した食器として磁器が作られるようになったのである。宋の磁器をさらに改良したのが高麗青磁である。
元代にはイスラーム世界からコバルト顔料を使用して青色(藍色)の模様を絵付けする染付が現れた。明代の景徳鎮では青色一色の染付に加えて、赤・緑など多彩な釉薬を用いた赤絵が発達した。明代の陶磁器生産については、宋応星の『天工開物』にもその技術が解説されている。
元代にはイスラーム世界からコバルト顔料を使用して青色(藍色)の模様を絵付けする染付が現れた。明代の景徳鎮では青色一色の染付に加えて、赤・緑など多彩な釉薬を用いた赤絵が発達した。明代の陶磁器生産については、宋応星の『天工開物』にもその技術が解説されている。
陶磁器を英語で china という
陶磁器は宋・元・明・清を通して中国の重要な輸出品とされ、遠く西アジア、ヨーロッパにも運ばれた。西欧で陶磁器のことをチャイナ(china)というのはそのためである。16世紀後半から19世紀初頭のスペインによる太平洋のガレオン貿易では中国産の絹織物や陶磁器が、フィリピンのマニラを経てメキシコのアカプルコをに運ばれ、そこからヨーロッパにもたらされた。その代価としてメキシコ銀が大量に中国に流入することになった。 → 陶磁の道陶磁器の歴史 大まかなポイント
- 陶器と磁器 素焼きの土器が発達して、釉薬を使って表面の光沢が出せるようになったのが陶磁器。陶器は素地に釉薬をかけて焼くもので、磁器は素地をさらに高熱で焼き、釉薬もガラス化させ純白透明の表面をもつ。
- 唐三彩 唐で盛んに作られたが、実用品ではなく主として副葬品とされていた陶器。
- 宋磁 白磁・青磁など磁器の技術も進み、景徳鎮を中心に陶磁器の生産(窯業)が盛んになった。その背景には茶の流行があった。
- 高麗青磁 宋の磁器をさらに改良したのが朝鮮の高麗で作られた高麗青磁である。
- 染付 元代にイスラーム世界から輸入されるコバルト顔料を使用し青色(藍色)の模様を絵付けする染付(中国では青花)が現れた。
- 赤絵 明代の景徳鎮で染付に加えて、赤・緑など多彩な釉薬を用いた赤絵が発達した。
- 陶磁の道 陶磁器は宋・元・明・清を通して中国の重要な輸出品とされ、「陶磁の道」で遠く西アジア、ヨーロッパにも運ばれた。西欧では陶磁器のことをチャイナという。