中国の各王朝では、唐の玄宗の時に創設された画院、正式には翰林図画院(かんりんとがいん)という宮廷の絵画制作を行う機関が置かれた。ここから多くの専門的な宮廷画家が生まれた。この画院で発達した画風が、花鳥を主な題材として写実と色彩を重んじる院体画であり、特に
宋(北宋)では北宋の
徽宗皇帝や南宋の
夏珪、
馬遠などが現れた。 →
宋代の文化
宮廷画家の院体画に対し、在野の士大夫層出身者の画風を
文人画という。文人画が元末から明にかけて流行し、明末の
董其昌がその流れを大成して南宗画(または南画)と言うようになると、院体画は
北宗画(北画)と言われるようになる。