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文人画

宋代の士大夫による新しいスタイルの画風。宮廷画家の院体画の形式性を脱し、山水(風景)を自由に描く画風が生まれた。宋代の蘇東坡などに代表され、現代以降の中国絵画の主流となった。

 宋(北宋)に盛んになった、士大夫層出身の文人たちの画を文人画という。文人とは儒教の学問と文学の教養を備えた知識人の意味。彼らは余技として書と画を好み、作画に親しんだ。このように文人画は専門の宮廷画家である院体画に対して、絵画を専門としない文人が余技として描いたもので、主として山水を自由なタッチで描いていた。

蘇東坡による文人画の確立

 文人画家としては北宋の蘇軾(蘇東坡)李公麟、米芾(べいふつ)、南宋の梁楷牧谿(もっけい)が名高い。中国文化の歴史の中で、新しい要素が現れた宋代の文化の一つのジャンルだった。
 中でも重要な役割をつとめたのが、蘇東坡であった。かれは優秀な成績で科挙に合格して高級官僚になったものの、当時の神宗のもとで王安石によって推進された新法に反対する旧法党とされ、三度にわたって流刑になるという不遇の中で、詩作とともに絵画にいそしみ、一つの境地に達した。それは、絵画はものに似せて描くのではなく、詩と絵画を一体とした芸術表現であることであり、そこに職業としての画工ではない、士大夫の教養と感性をもとにした自由な表現を見いだしたことであった。

元代以降の文人画

 元代においても漢人貴族の中で文人画の伝統は継承され、趙孟頫(ちょうもうふ)などが活躍した。元末になると元末四大家が現れて、六朝・唐以来の山水画の伝統を継承しながら、文人画の様式が確立され、明末の董其昌によって南宗画(南画)と言われるようになる。
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書籍案内

宇佐美文里
『中国絵画入門』
2014 岩波新書