カーディシーヤの戦い
637年、正統カリフ時代のイスラーム教団がササン朝ペルシアを破った戦い。
正統カリフ時代のイスラーム教国がササン朝ペルシアと戦った最初の勝利。637年夏、第2代カリフのウマルは、司令官サアド・イブン・アビー・ワッカースに命じ、大軍を派遣、アラブ軍はカーディシーヤの戦いでササン朝ペルシアの司令官ルスタムが率いる軍を撃破した。さらにアラブ軍は、ササン朝ペルシアの首都クテシフォンを攻略した。
ササン朝ペルシアの滅亡
首都とイラクの肥沃な土地を失ったササン朝のヤズギルド3世は東方のイラン高原に逃れ、反撃を試みたが、642年のニハーヴァンドの戦いで再び敗れ、実質的に滅亡した。皇帝自身はその後も各地を逃亡したが、651年にメルヴで殺害され、ササン朝は最終的に滅亡した。Episode アラブの最初の勝利
カーディシーヤ(カーデスィーヤとも表記する)は現在のイラクにある。アラブの最初の勝利の地として、イラクの独裁者サダム=フセイン大統領はそこに記念館を建設し、湾岸戦争時にはバグダードの新聞に「サッダームにカーディシーヤの勝利を」という論調があらわれ、フセインにはカーディシーヤというニックネームがつけられたという。<牟田口義郎『物語中東の歴史』中公新書>