モンバサ
アフリカ東岸の海港都市で、ムスリム商人が活動。1592年、ポルトガル人が城砦を築き拠点とした後、1698年にはオマーンのイスラーム政権に支配される。現在はケニアの主要な港湾都市となっている。
モンバサ GoogleMap
17世紀にはポルトガルの勢力にかげりが見え始め、1698年にモンバサのジーザス要塞はオマーンのイスラム政権(ヤアーリバ朝)の軍に攻撃されて陥落し、モンバサなどアフリカ東岸はしばらくオマーンの支配を受けることとなる。
モンバサ沖のポルトガル沈没船
1970年代にモンバサ沖の沈没船が発見され、本格的な調査が行われた。調査の結果、それは1696年にモンバサで起こったポルトガルとオマーンの軍事衝突の際に沈められたポルトガル船サン・アントニオ・デ・ターナ号であることが判った。この船はオマーン海軍に攻撃されたモンバサのジーザス砦を救援するために、ゴアから派遣された艦隊の旗艦であった。記録によるとポルトガル艦隊はオマーン艦隊の包囲網を突破したが、慢心からかジーザス砦の近くに碇を降ろしたところを敵艦からの集中砲火を浴び、そのうちの一発が火薬庫に命中して自由を失って座礁し、沈没した。船中から引き上げられた武器は砲身90cm程度の貧弱な大砲や、直径7~8cmの手投げ弾などしかなく、大砲の弾も質が低く大きさも一定でなく、満足に戦えたしろものではなかった。17世紀末のポルトガル海軍の力が著しく低下していることがわかり、ポルトガルの繁栄の時代が終わったことが明らかに示されていた。<ランドール・ササキ『沈没船が教える世界史』2010 メディアファクトリー新書 p.44>