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アルメイダ

ポルトガルの初代インド副王。アフリカ東岸に拠点を築きながらアラビア海に進出し、1509年ディウ沖の海戦で勝利しインド経営を積極的に行った。

 インド航路の開拓に成功し、インド進出を開始したポルトガルは、ムスリム商人の妨害を排除するためにカリカットなどに砲撃を加えた。このポルトガルの進出を警戒した、当時アラビア海の制海権を握っていたイスラーム教国マムルーク朝エジプトのスルタンは、同じくポルトガルの進出を阻止しようとしていたヴェネツィアと結び、インドの諸侯を味方にしてポルトガルの撃退を図った。

東アフリカ海岸を征服

 それにたいしてポルトガルのマヌエル国王は、1505年、フランシスコ・アルメイダを初代インド副王に任じ、その指揮する海軍をアラビア海に派遣した。アルメイダは、東アフリカのソファラキルワモンバサを攻略し要塞を建設、さらに07年にはモザンビーク島も手に入れ要塞を建設した。モザンビークはその後も長くポルトガルのアフリカ植民地支配の中心地として続いた。
 1508年3月 ポルトガル海軍は、ヴェネツィアの支援を受けたマムルーク朝エジプトがインドの諸侯やレヴァント人、トルコ人、アラビア人からなる混成乗組員によって編成した大艦隊とチョウル沖で戦ったが、敗れてアルメイダの息子ロウレンソが戦死した。

ディウ沖の海戦でマムルーク海軍を破る

 1509年2月、アルメイダの率いるポルトガル海軍は100隻の増援を得て、ディウ沖でマムルーク朝艦隊を発見、敢然と戦いを挑んでこのイスラーム海軍を破った。このディウ沖の海戦でポルトガルはインド洋の制海権を確立した。
 しかし、アルメイダがコチンに凱旋すると、彼の地位にとってかわるべくインド総督に任命されたアルブケルケが到着しており、アルメイダは数ヶ月の間、抵抗したがついに屈服し帰国の途に就く。途中、喜望峰に立ち寄ったとき、現地のアフリカ人とのつまらない小競り合いで横死した。<ペンローズ『大航海時代』荒尾克己訳 筑摩書房 p.73-75 などによる>
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