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レオン3世/レオ3世(ビザンツ皇帝)

8世紀のビザンツ皇帝。イスラームの侵攻を食い止め、726年には聖像禁止令を発した。

 ビザンツ帝国の皇帝(717~741年)。レオ3世とも表記する。ビザンツ皇帝レオン3世は、教科書では聖像禁止令を出して、東西教会の対立の原因をつくった、という記述しかなく、また高校の授業でもそう説明されているだけである。しかし、この人物は世界史上、それにとどまらずに重要である。また8世紀のキリスト教世界に与えたイスラーム勢力の脅威というと、西ヨーロッパでのイベリア半島への侵入(711年)、トゥール=ポワティエの戦い(732年)を思い出すであろうが、実は同時期にビザンツ帝国の都コンスタンティノープルもイスラームの侵攻にさらされていたのである。そのようなときに登場したのがビザンツ皇帝レオン3世であった。このイスラームに脅かされているという事実が分からないと、聖像禁止令の意味も正しく理解できない。 同名に注意 同名のローマ教皇レオ3世(カールの戴冠の時の教皇)とはまったく別人なので混同しないように。

イスラームの侵攻を撃退

 レオン3世は、皇帝の血統だったのではなく、シリア系の人物でテマ(軍管区)の長官として活躍し、実力で皇帝の地位を勝ち取った人物である。テマの長官というのだから、軍人である。そしてその活躍とは、小アジアでのイスラームとの戦いでたびたび勝利したことであり、その獅子のような勇敢さからレオン(獅子)というあだ名で呼ばれ、717年の即位の際にもそれを正式な名前にした。即位後すぐの8月、ビザンツ最大のピンチが到来した。ウマイヤ朝カリフの弟を総大将とするイスラーム軍が、陸と海からコンスタンティノープルを包囲したのである。レオン3世の守るコンスタンティノープルはあらかじめ大城壁と堀を深くして待ち受け、イスラーム軍も陸上から攻めあぐねた。この時はまだ大砲は使われていない。海軍の方では今度も「ギリシアの火」といわれた火器を積んだビザンツの特殊戦艦が活躍し、イスラーム海軍も苦戦した。そこにブルガリア軍がビザンツを救援するため参戦した。レオン3世が交易開始を条件にブルガリアとの同盟をはたらきかけていたのである。こうしてイスラーム軍のコンスタンティノープル包囲は失敗に終わった。レオン3世は、テマ制という軍事制度・コンスタンティノープルの城壁・ギリシアの火、そしてブルガリアの力を借りることによってイスラーム軍の撃退に成功したのである。さらに740年には小アジアの中央部のアクロイノンでイスラーム軍に大勝、ビザンツ帝国を救った。その後、イスラーム世界では750年にアッバース朝に変わってその拠点が東方に移ったため、ビザンツへの脅威は和いでいく。<井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』1990 講談社現代新書 p.119-122>

聖像崇拝を禁止

 イスラームの脅威は軍事的なものだけではなかった。小アジアの人びとにイスラームの教えがじわりと及んでいる。イスラーム教徒はキリスト教の教会が偶像を崇拝していると批判し、人びともそれに同調しようとしていた。そこで小アジアの教会は、ビザンツ皇帝に対し、本来のキリスト教信仰に帰り、聖像崇拝を止めるべきだということをたびたび訴えるようになった。レオン3世もイスラームの浸透を抑えるためには聖像崇拝禁止に踏み切ることを決意し、726年聖像禁止令を出した。具体的な行動としては聖像を破壊することを命じた。そのもう一つのねらいは、聖像禁止に従わない教会や修道院の領地を取り上げて、皇帝の財力を強め、対イスラーム戦を戦うということもあった。いずれにせよ、聖像禁止令が出発点となって東西教会の聖像崇拝論争が起き、キリスト教教会の東西分裂に行き着くことになる。なお、聖像禁止令はその後ビザンツ帝国でずっと続いたのではない。レオン3世の子のコンスタンティノス5世も徹底した聖像破壊と、聖像崇拝者に対する弾圧を行ったが、その死後は反動が起こり、教会の抵抗もあってイコンという形で聖像は復活し、レオン3世とコンスタンティノス5世は反教会の皇帝として非難され、コンスタンティノス5世に至っては「糞」と言うあだ名さえ付けられてしまう。<井上『同上』p.130>

離婚を禁止する

 レオン3世のもう一つ注目すべき施策に離婚禁止がある。もともとローマ帝国では協議離婚は認められており、『ローマ法大全』でも離婚の自由は大幅に認められていた。ところがこれは聖書に「神が結び合わせてくださったものを人は離してはならない」という教えに反する。離婚の制限が行われるかどうかは、その社会の「キリスト教化」の度合いを示すと言えるのだが、レオン3世の発布した『エクロゲー法典』では、この聖書の言葉を上げて離婚が制限すると定めた。これはローマ的要素が無くなり、キリスト教国家としてのビザンツ帝国に完全に転化したことを意味している。<井上『同上』 p.125-126>
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井上浩一
『生き残った帝国ビザンティン』
講談社学術文庫