アーヘン
フランク王国のカール大帝の王宮が置かれた、ドイツ西部、ベルギーとの国境近くの都市。936年、オットー1世がドイツ王として戴冠式を行い、以後、1531年のフェルディナント1世まで、歴代のドイツ王の体感の場所となった。
アーヘン Google Map
王宮と言っても人口2~3000の小都市にすぎなかった。カール大帝はフランク王国内を常に移動して統治していたが、その中で最も長く留まったのがアーヘンで、カール大帝は晩年を死ぬまでこの地で暮らし、814年に没した。
アーヘンはローマ時代から温泉地として有名で、温泉を好んだカールが最も気に入ったところだったらしい。カールはアーヘンの浴場に貴族や友人を招き、ときには100人以上と一緒に入浴したという。
Episode 温泉で泳ぐカール大帝
エインハルドゥスの『カルロス大帝伝』は、カール大帝のアーヘンでの生活をこんな風に伝えている。(引用)たえず乗馬と狩猟の技を鍛えた。これらは彼の民族に生来の習俗であった。というのも、これらの技でフランキ族に太刀打ちできる民族は、地上にほとんど存在しなかったのであるから。彼はさらに、天然の温泉の湯気を好んだ。そこでたびたび泳いで体を鍛えた。たいへん水泳術に上達し、まともに競泳して彼に勝てるような者は一人もいなかった。
このようなわけで、アクアスグラニ(アーヘン)にも王宮を建て、晩年を死ぬまでずっとそこで暮らした。そこの浴場には、息子ばかりか貴族や友人を招き、ときには侍従や護衛兵の一隊も招待した。その結果、ときには百人以上もの人たちといっしょに入浴することもあった。<エインハルドゥス/國原吉之助訳『カルロス大帝伝』 筑摩書房 p.33>
アーヘンの大聖堂
なおアーヘンにはカール大帝が創建したという大聖堂が現存する。(引用)幼い頃より感化を受けていたキリスト教を、きわめて敬虔な気持ちで最高の愛をもって信仰した。このためアクアスグラニにたいそう美しい大聖堂を建て、金や銀や灯火で、そして純銅製の扉や内陣格子で飾った。これを建てるために大理石の柱を、他の土地から求められなかったので、ローマやラヴェンナから運ぶよう手配した。この教会には、朝にも夕べにも、時には未明にもミサの時にも、彼の健康の許す限り、熱心に通った。……<エインハルドゥス/國原吉之助訳『カルロス大帝伝』 筑摩書房 p.36>
オットー1世のドイツ王戴冠
936年8月7日、東フランク国王ザクセン朝のオットー1世は、アーヘンでドイツ王として選出され、戴冠式を行った。ザクセン部族出身のオットーが、アーヘンのカール大帝由来の玉座に就いたことは、オットーがフランク王国の正統な後継者であることを明らかにし、またマインツ大司教による塗油や戴冠はオットーの国王位がキリスト教会によって正当化されたことを示した。このアーヘンでのドイツ王の戴冠式は、こののち、1531年に即位したフェルディナント1世まで続く。実に600年間、アーヘンはドイツ王戴冠の地だった。アーヘンでドイツ王に即位した者だけが、ローマ皇帝になる。その伝統を作ったのがオットー1世だった。<山本文彦『神聖ローマ帝国』2024 p.16-17>
オットー1世は、その後、962年にローマに赴き、神聖ローマ皇帝の戴冠をローマ公共から受けることとなる。、
近代のアーヘン
アーヘンは、ドイツ・ベルギー・オランダの国境に近いところ、つまりヨーロッパのほぼ中央に位置しているので、近代に入っても度々歴史の舞台となった。1748年、オーストリア継承戦争の講和条約アーヘンの和約はこの地で締結されているう。