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カール大帝

フランク王国の全盛期の王。ブリテン島を除く西ヨーロッパをほぼ勢力下に納め、800年にローマ皇帝の戴冠を受け、西ローマ帝国を継承した。このカールの戴冠はヨーロッパ世界の成立を意味している。

カール大帝

カール大帝の銅像

 フランク王国カロリング朝の国王、カール1世(在位768~814年)。父のピピンに次いで即位し、フランク王国の全盛期を出現させた。ラテン語ではカルロス=マグヌス(カルロス大帝)、フランス語ではシャルルマーニュと言われる。

領土の拡大

 カールは次々と周辺に遠征し、フランク王国の領土拡大。南方では774年ランゴバルド王国を征服、北イタリアを併合し、西方ではイベリア半島のイスラームと戦い、ピレネーを越えてエブロ川まで領土を広げ、スペイン辺境伯を設置した。東方ではドイツのザクセン人、バイエルンなどを従え、さらに796年にはパンノニア(現ハンガリー)に遠征軍を送り、アジア系のアヴァール人を討ち、その勢力を東方に拡張した。その最大領土は、大陸の西ヨーロッパほぼ全域に及んだ。

領土の経営

 その支配域の地方豪族を(コムス)に任命して行政を任せ、それを監督する役職として巡察使を派遣した。また多数の勅令(カピトゥラリア)を制定し、全国を統制した。晩年に王宮をアーヘン(現在はオランダ・ベルギーと国境を接するドイツ領。ドイツ語でアーヘンと言うが、当時はエクス=ラ=シャペルと言われた)においたが、生涯を通じ王国の各地を巡幸し続けた。

ローマ帝国皇帝の戴冠

 800年、ローマ教皇レオ3世からローマ帝国皇帝の冠を授けられ(カールの戴冠)、ローマ帝国の後継者であると同時に西ヨーロッパのキリスト教世界の守護者となり、それらとゲルマンの封建社会を結びつけた「ヨーロッパ世界」を出現させた。

文芸の保護

 また、ラテン文芸の復興に努め、アーヘンにアルクィンなどの学者を招いて「カロリング=ルネサンス」といわれた。
補足 カールの名前 フランク王国は現在のフランス、ドイツ、イタリアにまたがる国家であったので、カールの名もそれぞれで表記される。ドイツ語ではカール(Karl)だが、フランス語ではシャルル(Charle)、シュルルマーニュ(シャルル大帝、Charlemagne)、ラテン語ではカロルス(Carolus)、スペイン語ではカルロス(Carlos)となる。なお英語ではチャールズ、チャールズ大帝(Charles the Grate)となる。
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書籍案内

アンリ・ピレンヌ
増田四郎監修
/中村宏・佐々木克巳訳
『ヨーロッパ世界の誕生』
マホメットとシャルルマーニュ
講談社学術文庫 Kindle版

エインハルドゥス
國原吉之助訳
『カルロス大帝伝』
1988 筑摩書房

佐藤彰一
『カール大帝』
世界史リブレット人29
2013 山川出版社