ヘンリ7世
イギリスのバラ戦争で貴族が没落した後を受け、1485年にチューダー朝を開始し、絶対王政の基盤を築いた国王。ヘンリ8世の父。
在位1485~1509年。テューダー家はもともとウェールズの豪族で、その一人のエドモンドとランカスター家初代のジョンの娘との間に生まれたのがヘンリ。バラ戦争でヨーク家に敗れたランカスター家のほとんどが戦死する中で、彼はフランスに亡命して唯一の生き残りとなっていた。彼はヨーク派の支持を取り付けようとしてエドワード4世の娘エリザベスと婚約し、1485年にウェールズに上陸し、ウェールズ勢を兵力としてヨーク朝のリチャード3世軍をボズワースの戦いで破り、バラ戦争を終結させ、同年に即位してヘンリ7世となりテューダー朝を開いた。
(注)星室庁裁判所は、山川詳説世界史現行版では次のヘンリ8世が整備したとされている。星室庁裁判所の項を参照。
なお、ヘンリ7世の時代はポルトガル・スペインによる大航海時代にあたっている。当時はヨーロッパの小国であり、戦乱が続いたためイギリスの海外進出は遅れていたが、ヘンリ7世はその先駆となる事業を行っている。イタリア人カボットの航海を支援し、1497年、カボットはアジア到達を目標に西回り航路をとり、新大陸(現在のカナダ)に到達、その地をノヴァスコシア(新しいスコットランドの意味)、ニューフアンドランド(新しく発見した土地の意味)と名づけた。この地はタラの好漁場としてイギリス漁民が進出するが、この段階で上陸して植民地を築くことは行われなかった。
絶対王政の基盤をつくる
テューダー家ヘンリ7世は、百年戦争とバラ戦争によって封建貴族が没落したことに乗じて、強大な王権を築いた。即位の年、国王直属の裁判所として星室庁裁判所(注)を開設し、反王権の動きを取り締まり、特定の商人に保護を加えて国庫の充実を図るという、絶対王政の体制整備に努めた。次の長男ヘンリ8世以後のテューダー朝がイギリス絶対王政の全盛期となる。(注)星室庁裁判所は、山川詳説世界史現行版では次のヘンリ8世が整備したとされている。星室庁裁判所の項を参照。
なお、ヘンリ7世の時代はポルトガル・スペインによる大航海時代にあたっている。当時はヨーロッパの小国であり、戦乱が続いたためイギリスの海外進出は遅れていたが、ヘンリ7世はその先駆となる事業を行っている。イタリア人カボットの航海を支援し、1497年、カボットはアジア到達を目標に西回り航路をとり、新大陸(現在のカナダ)に到達、その地をノヴァスコシア(新しいスコットランドの意味)、ニューフアンドランド(新しく発見した土地の意味)と名づけた。この地はタラの好漁場としてイギリス漁民が進出するが、この段階で上陸して植民地を築くことは行われなかった。
Episode ヘンリ7世、婚姻外交の結末
ヘンリ7世は、内戦のためにヨーロッパで地位を築けていなかった小国イギリスの国際的地位を築くことに腐心し、婚姻外交で成果を収めた。まず娘マーガレットをスコットランド国王ジェームズ4世の妻として送り、和平を実現した。ジェームズ4世とマーガレットの孫娘にあたるのがメアリ=ステュアートであり、その子ジェームス6世がイングランドのテューダー朝に替わるステュアート朝を開くジェームズ1世となる。また、ヘンリ7世は当時の大国スペインと結ぶため、長男アーサーの妻としてスペイン国王フェルナンド5世の娘キャサリンを迎えた。しかしアーサーがあっけなく死んでしまったため、弟のヘンリの妻とすることをローマ教皇に特別に許可してもらうという非常手段に出た。このことは後にヘンリ8世の離婚問題へとつながっていく。ヘンリ7世の婚姻政策は後のイギリスに大きな影響を与えたことになる。<指昭博『図説イギリスの歴史』2002 p.46>