カボット
15世紀末、イタリアの航海者。イギリス王に派遣され大西洋を横断。ニューファンドランドに到達。その後何度か北米大陸東岸を探検した。その子も航海者で南米大陸を探検した。
北米大陸の探検
イタリアのジェノヴァの生まれの大航海時代の航海者。ジョバンニ=カボート(またはカボーテ、英語読みでジョン=カボット)とも表記する。1497年、イギリス王ヘンリ7世(テューダー朝の創設者)の公認の下、ブリストル港の商人の資金によってアジアへの航路探検に出発し、コロンブスに次いで大西洋を横断、北アメリカ大陸のニューファンドランド(”新しく発見された土地”の意味)と後にノヴァ=スコシア(”新スコットランド”の意味)と言われる地域に到達した。さらに翌1498年には再びブリストルから出向して大西洋を横断、グリーンランドの東西海岸を探検し、北極圏に到達した。寒さのために北上をあきらめ、南下してバフィン島・ハドソン湾沖を通り、北米大陸東岸を北緯38度付近(現在のワシントンの近く)まで到達した。カボットはコロンブスと同じく、この地を新大陸とは考えず、アジアの一部と考え、ジパングに到達することを目指したが、現地人と交易したが金を手に入れることはできず、食糧が不足したため同年秋にイギリスに帰った。カボットが到達した海域は、タラの好漁場であったので、その後海岸に漁業基地が作られ、イギリスやスペイン、ポルトガル、フランスの漁民がタラ漁に進出した。しかし、この時代のイギリスは、植民地を恒常的に経営する力はなかったので、植民地建設の事業は起こらなかった。
セバスチャン=カボット(子)
ジョバンニの息子のセバスチャンも航海者として知られている。彼はスペインのカルロス1世に仕え、1526年から西回りでアジアのジパングやモルッカ諸島をめざし、南アメリカ大陸を抜ける航路を探索してある水路を遡った。このとき、インディオから多数の銀製品を贈られたため、その川にリオ・デ・ラ・プラタ(銀の川)という名を付けた。これが現在のアルゼンチンのラプラタ川である。<ボイス・ペンローズ『大航海時代』1952 荒尾克己訳 筑摩書房 p.147>他にも、カボットは、1544年に世界地図を作製し、1551年にはロンドンとロシアを結ぶ北海航路の開拓にあたった。