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テューダー朝

イギリス絶対王政全盛期の王朝。ヘンリ8世を経てエリザベス1世まで、ヨーロッパの大国に成長した時期であった。

 1485年バラ戦争に勝利して即位したヘンリ7世に始まり、ヘンリ8世エドワード6世メアリ1世エリザベス1世と続く、15世紀末から16世紀のイギリスの王朝。特にエリザベス1世時代はイギリス絶対王政の全盛期であり、宗教改革を断行して国教会による教会統制をテコにした強大な王権を持ち、またイギリスが海外に進出しはじめる時代であった。テューダー朝の絶対王政を支えていたのは、農村の地主でジェントリと言われた人びとで、彼等は騎士という称号を持ち、州代表として議会に参加し、また地域では治安判事として王政を支えていた。 → 絶対王政時代のイギリス

テューダー朝のイギリス国王

 歴代の王の事績は次のとおり。( )内は在位年代。
  • ヘンリ7世(1485~1509)ランカスター家出身だがヨーク家の女性と結婚してバラ戦争を収束させる。国王直属の星室庁裁判所を設け王権の強化に努める(整備されたのは次のヘンリ8世の時)。
  • ヘンリ8世(1509~1547)当時始まったルターの宗教改革には反対し、ローマ教皇から「信仰の擁護者」の称号を与えられる。ところが王妃離婚問題でローマ教皇と対立、1534年に首長法(国王至上法)を制定して、イギリス国王を教会の首長とする独自のイギリス国教会制度を創設した。これがイギリス宗教改革であるが、さらに王権拡張の障害となる修道院を廃止するなど、絶対王政を強化した。
  • エドワード6世(1547~1553)ヘンリ8世の唯一の男子。9歳で即位し、16歳で死去。議会で一般祈祷書が制定され、国教会の礼拝方式を整備した。
  • メアリ1世(1553~1558)イギリス最初の女王。ヘンリ8世の娘。母キャサリンがカトリックであったため国教会を否定してカトリックに復帰。スペインのフェリペ2世と結婚し、プロテスタントを弾圧して殺害し「血塗られたメアリー」と恐れられる。
  • エリザベス1世(1558~1603)ヘンリ8世の娘で母はアン=ブーリン。メアリーの死去により女王となり、国教会を復活させる。1559年、首長法を復活させ、さらに統一法を制定して一般祈祷書による儀式の統一を図った。政治に真剣に取り組み議会を服従させつつ巧妙に利用してイギリス絶対王政の体制を確立させた。一方で1588年、オランダを支援してスペインの無敵艦隊を破り、海外発展の端緒をつかんで1600年に東インド会社を設立した。生涯結婚せず後継者が無かったので、遠縁にあたるスコットランド国王ステュアート家のジェームズ1世がイングランド王を兼ね、ステュアート朝となる。

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